大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録

地元大宮台地の湧水を中心に、地理、地形好きのお出かけの記録です。

川口市 道合~安行領根岸の湧水と寺社 見沼代用水に沿って

 

大宮台地の南端、鳩ヶ谷支台は多くの開析谷に刻まれています。

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大宮台地全体図

今回は鳩ヶ谷支台の西側にある半島状の台地を見沼代用水に沿って、寺社や湧水をめぐります。以前取り上げた「道合窪下の湧水」(川口市道合 窪下の湧水群 - 大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録 (hatenablog.jp))の南側になります。

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 外環道南側の湧水(地図A)

東京外環道の南側を見沼代用水に沿って進むと、すぐに東に向かう谷があります。

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2020年6月撮影

谷の南斜面はソーラーパネルが並び、奥の方は造成中。これは湧水は埋められてしまったかなと思いましたが……

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2020年6月撮影

手前側の畑の中からは水が出ていました。梅雨時に行ったから水が多かったかもしれませんが、かつての湿田の面影をとどめている感じです。流れのそばにはハナニラが咲いていました。

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2020年6月撮影

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2020年6月撮影

谷の上から。生産緑地地区に指定されていたようですが、農業を続けていくのもなかなか難しいのでしょう……

この湧水もいつまで残るか心配です。

見沼代用水沿いに戻って、斜面林沿いに歩きます。見沼代用水沿いは「緑のヘルシーロード」として整備されています。これをたどれば取水している利根大堰まで行けるはず。総延長は50㎞以上!もあるそうです。

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2020年6月撮影

この辺りは斜面林が手入れされずに鬱蒼としていて、緑のトンネルのようになっていました。

 

妙蔵寺(地図B)

しばらく歩くと台地の上に墓地が見えてきます。台地の岬状の場所に建つ妙蔵寺です。

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2020年6月撮影 墓地の先が妙蔵寺

参道は見沼代用水の手前から。用水を橋で渡って階段を上がります。

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2020年6月撮影

妙蔵寺は、延文三年(1358)開山という日蓮宗の寺院。お寺のHPによると、戸塚安行駅の北側にあった戸塚城の城主、小見山氏が陣屋の守護のために堂宇を建立したのが始まりとの事。

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2020年6月撮影

境内には小山のようなところも。元々の地形なのか、人口の塚なのかは不明。堂宇は度々の火災に見舞われ、現在の本堂は戦後の再建との事。

 

根岸春日神社(地図C)

この先、見沼代用水の西側にも台地の削り残しのような高台があります。元々台地から切り離されていたというよりも、見沼代用水がショートカットするために台地を切り取って開削された可能性が高そうです。用水の東側も低くなっていますが、ここは戦後に土取りで削られたのではないかと思います。

この岬状の台地の先端に春日神社が鎮座しています。

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鳥居は台地下にある 2021年2月撮影

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鳥居の奥の石段 2021年2月撮影

境内の解説によると寛平元年(889)に氏子13戸が奈良の春日大社を勧請したとのこと。源頼朝から寄進を受けたともあるので、なかなかの古社のようです。

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2021年2月撮影

社殿の後ろはすぐ崖になっています。左側もすぐ斜面なので、本当に岬の先にあることがわかります。

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2021年2月撮影

石段の上から見下ろした写真。左奥には芝川が見えます。

この芝川の流路は、かつては「古入間川」と呼ばれる荒川東遷前の入間川(もっと昔は荒川本流)の流れでした。

 

色別標高図で見ると周囲と比べて少し低くなっていてうっすらとかつての流路が低くなっていて追うことができます。

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根岸春日神社と古入間川

 

創建された平安時代は前を流れる「古入間川」を俯瞰できる要衝だったのではと思います。ひょっとするとそれ以前から祭祀の対象だったのではなどと妄想してしまいます。

 

幼稚園のミニ水田(地図D)

再び見沼代用水沿いに戻って北上すると、斜面林の雑木林に囲まれた幼稚園が見えてきます。

幼稚園の手前側はちょっとした谷地形。

その谷に、園児たちが育てているという小さな田んぼがありました。

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2020年6月撮影

田んぼには澄んだ水が張られ、横の水路に水が流れ出ています。地形的に湧水の可能性はありそうですが、稲を育てるためにどこかから水を引っ張っているのかもと6月に最初に訪ねたときは確信が持てませんでした。

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2020年6月撮影

しかし、渇水期の1月に再度訪問したところ、田んぼから水が流れ出しているのを確認。湧水を利用した水田でした。こんなところに大宮台地の伝統的な湿田が残されているとは!

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2021年1月撮影

園の敷地内も自然がいっぱいあり、湧水の田んぼで稲を育てたり、貴重な経験が出来そうな幼稚園です。

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2020年6月撮影

田んぼの奥の方にも池がありました。こちらもどうやら湧水の池のようですね。

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見沼代用水と幼稚園のある斜面林 2020年6月撮影

 

神根トンネル東側の湧水(地図E)

 見沼代用水沿いを歩くと、四車線の第二産業道路と交差します。こちらの道路、台地の下を「神根トンネル」というトンネルで抜けていきます。埼玉県南部では珍しいトンネル。

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2021年1月撮影

第二産業道路が通るところはちょっとした谷地形。その北側の住宅の前に湧水を見つけました。

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2020年11月撮影

コンクリートの下から湧き出しています。

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2020年11月撮影

鉄分が多く、流れはやや赤みがかっています。耕作放棄された荒れ地の中を流れていきます。

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2020年2月撮影

この辺りもかつての湿田の名残りですね。

鳩ヶ谷支台の台地のキワはなかなか見どころが多いです。

ここから東に行くと川口市立グリーンセンターがすぐ近く。ここから北に入る谷は「笹根川」が流れ、湧水がたくさんあるのですが、そちらはまた紹介します。
 

 

 

岩槻区平林寺~馬込の綾瀬川沿い 台地の露頭と謎の土塁「シンボリ」、水神様の湧水

 

今回は岩槻区の平林寺から馬込にかけての綾瀬川沿いを地質や歴史、湧水を見ながら歩きます。

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付近の地図

「硬砂」の露頭(冒頭の地図A)

国道122号から、東北自動車道にかかる陸橋「前原橋」を綾瀬川方面に下りていくと、途中に斜面林を切りとおした露頭が見られます。

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道路沿いに見られる露頭

表土の黒土、その下の赤茶色の関東ローム層の下に灰褐色の地層が観察できます。

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崩れていた部分を手に取ってみたところ

この部分手に取ってみると粗い砂っぽい。表面は風化してボロボロとこぼれますが、結構固まって硬い層です。

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これは大宮台地でも局所的に分布する「硬砂層」という砂が凝固してできた地層のようです。元は大きな川沿いに出来た内陸性の砂丘。その上にローム層が堆積したので、硬砂層が分布するところは標高がやや高めとされています。

※参考文献 大宮台地に分布する硬砂層の性質と堆積環境 (jst.go.jp)

大宮台地周辺では石がほとんど採れなかったため、古代は石の代わりに使われていたとのこと。黒浜貝塚ではカキの着床用に使われ、一部の古墳では石室の材料にも使われたそうです。

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中央の白っぽい部分が硬砂層

硬砂層の下は赤っぽい土になります。こちらは「大宮層」と呼ばれる台地の基盤となる地層。赤褐色なのは火山灰を多く含むためで、上記の論文では「ヌカ砂層」と呼んでいました。

最近では露頭自体が減っている中で、ローム層の下の「硬砂」などを観察できる貴重な場所です。

 

謎の土塁「シンボリ」の名残り(冒頭の地図B)

低地への坂道を下りていきます。なお、道の左側の大きな煙突は元産廃処理場。残された産廃が山になっていてちょっと困った状況です。

綾瀬川の橋(高野橋)から綾瀬川沿いを歩きます。なお、夏場は草が茂って歩きにくいかもしれません。

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綾瀬川沿いの風景

この辺りは台地の斜面林のすぐ脇を綾瀬川が流れます。元々は台地に接したり離れたり蛇行していたものを戦前に直線化しています。

しばらく行くと台地上に上がる小道があります。その西側、ちょうど大字平林寺と馬込の境に「シンボリ」と呼ばれる土塁の痕跡が残っています。

地図中ではBの部分、色別標高図ではうっすらと帯状の高まりが確認できます。

この土塁跡は、東北道で寸断されていますが北側も確認できます。南北方向に谷が入って岩槻支台が一番細くなったところで、過去の航空写真ではくっきりと確認できます。

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1961年の航空写真

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2020年2月撮影

国道122号から見た現地の様子です。道路沿いは平らになっていますが、奥側には土塁が残っています。

写真ではわかりずらいですが、土塁の高さは2m程度、西側(写真の右側)にはだいぶ埋まってしまっていますが、堀状の窪地も残ります。 

この土塁、地元では「シンボリ」(「新堀」か?)と呼ばれ、さいたま市の散策マップ※PDFファイルiwatsuki_sansaku12.pdf (city.saitama.jp)によると、かつてあった平林寺(寛文3年(1663)に新座に移転)の土塁説や、岩槻城の外構説があるとのこと。

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岩槻城・平林寺とシンボリ

 中世の戦乱期に作られたと思われる謎の土塁です。

 

水神様の湧水(冒頭の地図C)

再び綾瀬川沿いを歩くと、その名も「水神橋」が現れます。

水神橋の上流側は、斜面林と屋敷林に挟まれ、綾瀬川流域では最も自然度が高いのではという景観。

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水神橋付近から綾瀬川上流を望む 2020年2月撮影

 

 

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こちらは2020年6月撮影

川沿いに歩くと斜面林の中に、橋の名前の由来となった水神様(おそらく)の祠が祀られています。そして祠の前からは水が湧きだしています。

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見えづらいが奥に水神様の祠が見える 2020年2月撮影

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水神の祠の前の湧水

由来はよくわかりませんが、この湧水があるために祀られた祠なのではと思います。元々は雑木林も手入れされていたはずですが、下草が生えて鬱蒼として残念ながらあまり近づくことができません。

もう少し進むと川と斜面が少し離れます。ここでも斜面の下から水が湧きだして綾瀬川にそそいています。

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斜面下から流れる湧水 2020年2月撮影

この辺り、昭和の頃まではヘイケボタルが見られました。最近は見られなくなってしまったのでは。近くにゴルフ練習場もできて夜でも明るくなってしまいました。

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綾瀬川に注ぎ込む 2020年2月撮影

綾瀬川はかつては「日本一汚い」川として名をはせていましたが、近年は流域の下水道の整備等により、だいぶ改善されきれいになってきました。まだヘドロやゴミが多く残っていますが、これが無くなれば、かつての「泳げた」という水質に近付くのではないかと思います。

この辺りの緑も湧水も残って、いつかまたヘイケボタルが復活する日が来ればいいなあと思います。

 


 

さいたま市西区 指扇辻川の湿原と秋葉神社

秋葉の森総合公園を水源とする指扇辻川。

前回の訪ねた源流部に続き、その下流側を訪ねてみました。

※前回記事

 

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指扇支台は台地の西側。鴨川の谷に隔てられている。

 

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指扇辻川流域(地理院地図を加工)

指扇辻川と湿原

下流側の低地も、将来は秋葉の森総合公園として整備される予定ですが、現在は市有地となっているようです。

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2020年12月20日撮影

12月に訪ねた際はちょうど葦が刈られた後。谷全体の地下水位が高く、湿地になっている様子がよくわかります。

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2020年12月20日撮影

指扇辻川は湿地帯の中を蛇行しながら流れます。この写真だけ見ると北海道の湿原と言われても納得しそう?

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2020年12月20日撮影

こちらは低地を横切る道路の下流側。まばらに湿地に多いヤナギ類が生えています。2020年の12月は少雨で涸れている湧水も出ていましたが、ここではあちらこちらから水が出ています。

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2020年12月20日撮影

そして2021年の4月に再訪しました。上流側のアシ原は刈り込まれた場所も芽吹いて緑色に。

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2021年4月撮影

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2021年4月撮影

下流側はヤナギ類が芽吹いて萌黄色がまぶしい!

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2021年4月撮影

公園化された場合も自然観察ゾーンになるようなので、大宮台地の原風景を見ることが出来る場所になったらいいなと思います。

 

中釘陣屋跡 

指扇辻川の西側の高台は、「中釘陣屋」の跡。私は訪ねて初めて知りましたが、土佐山内家の分家である指扇山内家の陣屋があった場所です。

土佐藩の藩祖である山内一豊の甥・山内一唯が初代で、その後四代の豊房が元禄2年(1689年)も土佐山内家に養子となり、陣屋は無くなったとの事。全然知らなかった…

 

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中釘陣屋周辺の地形

周辺の地形を見ると、西側は先ほどの湿地帯、北側と南側にも谷があり、当時は湿地だったと思われます。三方が天然の堀になっていて、いかにも城や陣屋に向いていそうな地形!

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2020年3月21日撮影

陣屋のあった台地上は、現在は屋敷地と農地となっており、遺構は残っていません。畑の区画の高低差に少しだけ陣屋だったころの面影を感じるような気もします。

秋葉神社

中釘陣屋跡の東側、台地がくびれた部分に鎮座するのは秋葉神社。「関東総社」とされています。付近の神社の中ではかなり大きな立派な社殿。

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2020年12月20日撮影 社殿と社叢。

社伝によれば秋葉神社聖武天皇天平年間(729年~)飽波神社として駿州に鎮座、その後遠州に移され、それから後に当所に遷座したと伝えられるとのこと。ここに秋葉神社が出来たのはいつかはっきりしませんが、少なくとも中世には当地に鎮座していたようです。

江戸期に入ると、先ほどの中釘陣屋に入った指扇山内家の守護神として崇拝され、寛文元年(1661年)に社殿を改築したとの事。今の社殿はその時のもののようなのですが、その割には文化財指定されているようではなくて、ちょっと不思議です。

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2020年12月20日 社殿を正面から

その後、当地が幕府領になると、紀州徳川家の祈願所となって崇拝されました。付近にはこの秋葉神社に向かう「秋葉道」があり、庶民の信仰も集めていたことがうかがえます。

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2020年2月11日撮影 立派な神楽殿もある

個人的に気になるのはその立地。前述したように北からも南からも谷が入り込み、台地が最もくびれたところにあります。

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2020年2月11日撮影 南側の谷から

南側の谷。だいぶ盛り土されてしまっていますが、湧水が残っていました。低地から見上げると秋葉神社の屋根が大きいです。

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2020年2月11日撮影

神社の北側には弁財天と弁天池。コンクリート造りの弁天島でちょっと無粋な感じもしますが……

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2020年2月11日撮影 弁天島の裏から

弁天池には水がたまっていました。秋葉神社から少し下っただけですが、ちょうど谷頭にあたり、湧水ではないかと思います。

ただ、雨の少なかった2020年の12月に訪ねた際は涸れてしまっていました。湧出点としては標高が高いので少雨の影響は受けやすいようです。

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2020年2月11日撮影

なお、弁財天の向こうは、さいたま市ではめずらしい牧場。牛さんがこちらを見ていました。私が知る限り、さいたま市内の牧場はここともう一カ所です。

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2020年2月11日撮影

牧場の脇の水路。水路の底からも水が湧き出しているようです。これが中釘陣屋の北側の谷の流れとなり、指扇辻川に注いでいます。

秋葉の森総合公園拡張後は、秋葉神社と合わせてちょうど良い周遊ルートになりそうで楽しみです。

 

さいたま市西区 秋葉の森総合公園の湧水と湿地

2021年最初の記事は、指扇支台、秋葉の森総合公園内の自然観察エリアにある湧水と湿地のご紹介です。

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指扇支台は台地の西側。鴨川の谷に隔てられている。

大宮台地の西の端にあたる指扇支台も小河川が流れる谷が多くあります。そしてそれらにきちんと名前がつけられています。秋葉の森総合公園は、その中の「指扇辻川」の最上流部にあたります。元々はスポーツ総合公園として計画されていましたが、2000年代に方針を変更して自然環境の保全をするエリアが作られることになりました。現在オープンしているのは7.5haと全体計画(約20ha)の3割程度との事。公園内には大宮アルディージャの練習場ともなっているサッカー場や遊具のエリア、バーベキュー広場もありますが、今回は自然観察ゾーンをご紹介します。

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秋葉の森総合公園の案内板(2020年現在オープンしているエリア)

駐車場横の谷の湧水 

公園の入り口、駐車場の横、公園外のエリアになりますが、ここにも湧水が流れています。ここは浅い支谷になっていますが、最上流部ということもあり、ほとんど高低差はありません。

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駐車場横の湧水(2020年12月20日撮影)

公園内を暗渠で通過し、林の中に出た流れはそこそこの水量になっています。

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林の中の流れ(2020年12月20日撮影)

自然保護ゾーンの池と雑木林

林の中の観察路を抜けると池が見えてきます。ここは川の流れをせき止めて池をつくっているようです。

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2020年2月11日撮影

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堰から流れ出る水 2020年2月11日撮影

園路の下は野生動物用のトンネルも作られています。

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園路の下のトンネル(2020年2月11日撮影)

池に流れ込むのは「指扇辻川」の源流。自然観察エリアだけあって、自然度が高い流れ。モツゴか何かと思われる小魚が泳いでいました。

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2020年2月11日撮影

こちらは指扇辻川南側の雑木林の園路。林床は手入れされていて、かつてこの辺りにあった二次林を維持するよう管理されています。

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2020年2月11日撮影

指扇辻川の源流へ

雑木林の中を抜けると、谷頭の湿地帯です。アシは定期的に刈込されて管理されているようです。

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2020年12月20日撮影 ちょうど刈り込み作業中だった

上流側から湧き出して、湿地の方に流れています。

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2020年12月20日撮影

12月に訪ねた際は下流側の水面には氷が張っていましたが、上流側は地下水温が高いためか、日陰でありながら凍っていませんでした。

 

続いて散策路を左に折れ、もう一方の谷、指扇辻川の最上流部を望みます。

 

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2020年2月11日撮影

湿地の先、指扇辻川の最上流部。保全地域のため立ち入ることはできませんが、湧水池がありそう。この辺り、大宮台地の湧水地点としては標高が高めな11~12m。周囲の台地は20m強くらいですので、高低差はかなり緩やか。

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2020年2月11日撮影

なお、公園の北側はすぐ上尾市となりますが、そちらはかなり盛り土されていて荒れ地が目立っています。さいたま市側だけでも保全が出来て良かったと思います。

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ピクニック広場より 左奥が上尾市のエリア

(2020年2月11日撮影)

秋葉の森総合公園の拡張予定エリアもなかなか素晴らしい湿地が広がっています。周辺には公園の名前の由来となった秋葉神社もあり、セットで散策もおすすめです。

詳細は以下の記事にて

iko.hatenablog.jp

川口市道合 窪下の湧水群

「大宮台地の湧水」と言いながら、岩槻支台ばかり続いたので、今回は川口市内の鳩ヶ谷支台の湧水をご紹介します。

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大宮台地南部の概観図。鳩ヶ谷支台は南端。

大宮台地はいくつもの中小河川が間を流れ、いくつかの「支台」に分かれていますが、鳩ヶ谷支台は一番南端にあたります。いちばん南の下流側にありながら、台地の標高は比較的高く、高低差があるのが特徴です。

また谷の密度が高く、湧水(過去湧水があった場所も含めて)が比較的多いです。

今回は鳩ヶ谷支台の西側、川口市道合の湧水をご紹介します(2020年3月・6月に訪問)。谷の小字から「窪下の湧水群」と呼ぶことにします。「群」と呼ぶにはささやかな流れではありますが、谷のあちらこちらから水が湧き出している様子が確認できる、今となっては貴重な場所です。

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付近の地図(拡大)

谷の入り口(地図中A)

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谷の入り口。湧水の流れ。右側の水路は、奥の斜面の際から流れ出しているようです。左側の流れはどこから始まっているか確かめてみました。

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谷の真ん中に湧出点があって、小さな湿地帯のようになっています。

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セリ(芹)が生えていました。春の七草のひとつで栽培もされますが、自生しているものです。訪れた3月はちょうど食べごろでしょうか。よく似た「ドクゼリ」もあるようなので要注意です。

 

水路に合流する湧水群(地図B)

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2020年3月21日撮影

谷の入り口では暗渠になっていた水路。途中ではしご式の開渠となります。流れている水は湧水の割合も多いものの、台地上の生活排水が混ざって、見た感じはいわゆる「ドブ」。自然度も低くてちょっと生き物には住みにくい水路ですね。

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2020年3月21日撮影

水路には湧水からの流れが合流します。水量もなかなか。ここでバケツのようなもので水を受け止めているのはなぜなのか?

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2020年3月21日撮影

道路脇の湧水の流れ。

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2020年6月21日撮影

湧出点の1つ。窪みのところからチョロチョロと湧き出していました。

 

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宅地化されたところもありますが、大部分が農地として残され、その中に何本も湧水の流れが残ります。

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2020年6月21日撮影

ここは畑の水くみ場として利用されていました。なかなかの水量があります。

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2020年6月21日撮影

湧水では野鳥も水浴びしていました。これはカワラヒワ

 

谷頭の源流の湧水(地図C)

谷頭へとさかのぼると、斜面に沿ってはしご型開渠に流れ込む小さな流れがあります。谷に中央の水路はもっと上流から流れていますが、台地上からの排水路のようです。

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2020年3月21日撮影

更に上流の方へ、小道を回り込みます。

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2020年3月21日撮影

この辺りが源流部。近づけなかったですが、斜面の下から湧き出しているようです。

 

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なお、谷のすぐ西側には利根川から引水する見沼代用水東縁が流れます。ただ谷の中には水を引けず、かつてはこれらの湧水を利用して水田が作られていたようです。

徐々に家が建ち並んで来ていますが、元々の湿田に水が湧いていた名残りを留める貴重な場所ではないかと思います。

 

さいたま市岩槻区南下新井「宮前の湧水」

今回は岩槻支台、私が個人的に「宮前の湧水」と名付けた湧水のご紹介です。

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岩槻支台の南西部に位置する。

岩槻区南下新井、この辺りは台地に何本も谷が入り組んでいます。そのうちの1つ、南下新井久伊豆神社の東側の斜面下に、かつて湧水が利用されていた景観を残しているのではないかという場所があります。

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南下新井久伊豆神社 2019年12月8日撮影

久伊豆神社は浅い谷に面した台地のへりに鎮座しています。

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2019年12月8日撮影

神社の東側の小道を入っていくと左側は台地の緩い斜面に農家のお宅が3軒ほど並び、右側は低地となっています。

3軒目お宅の前の小道を右に折れると湧水が現れました!

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明確に湧出するポイントは見えませんが、下流の水路には豊富に水が流れ出しています。

地形図で湧水がありそうな場所だと期待はしていたのですが、こんなにきれいな形で残っているとは!感動です。 

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しげしげと観察をしていると、近くの畑で農作業されている方に声をかけられました(何をしているのかと思いますよね……)。

お話を伺うと、同じような湧水はこの辺りに他にもいくつかあったが、盛り土で埋められたりして残っているのはここだけとのこと。ここの北側の谷には大きな残土の山がありました。あのあたりにも湧水があったのでしょうか。ここは唯一残った貴重な湧水です。

台地の緩い斜面に農家の建物があり、その南側から湧き出して、かつては用水として利用したり、畑や田んぼを潤していたのではないかと思います。斜面といってもかなり高低差が少ない、大宮台地らしい湧水です。土の道と畑、斜面林の景観がとても美しい。

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2019年12月8日撮影

とても気に入ったこの湧水、ここの小字の名前を取って、勝手に「南下新井宮前の湧水」と名付けて、季節ごとに観察してみることにしました。

 

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2020年2月11日撮影

2月。2019年秋の多雨の影響が少なくなり、水量はやや減っています。

 

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 すっかり冬枯れかと思いきや、流れの中に小さな花が。湧水の水温が高いせいか、早くもタネツケバナが花を咲かせていました。

 

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2020年5月5日撮影

5月。新緑の季節。道路わきのツツジが花を咲かせています。

 

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流れの中も藻類や水草で緑が多くなりました。

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2020年7月5日撮影

夏。緑が一層濃くなりました。

 

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2020年9月22日撮影

流れの中は、やや砂っぽい感じです。大宮台地の湧水は、「常総粘土層」の上の砂層が帯水層となっているのではと思いますが、その砂でしょうか。

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2020年11月29日撮影

そして1年たった2020年晩秋。昨年よりは水量は少ないですが、少雨でもきちんと湧き出しています。夏のうちに左側の畑にあった丸い木が切られ少し殺風景になりましたが、湧水の流れは変わらず。長くこのままで残ってほしいものです。


これからも定期的に訪問を続けたいと思います。

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湧水付近の色別標高図 北側の山は残土の山

この湧水の北側の谷の上流にも湧水があります。

くわしくはこちらの記事をご覧ください。

iko.hatenablog.jp

 

さいたま市岩槻区 箕輪の湧水

 

本ブログを最近のライフワークである「大宮台地の湧水巡り」に模様替えしようと、記事を書き始めました。まずは生まれ育った実家に近い岩槻区箕輪の湧水のご紹介です。

大宮台地の東端、岩槻支台の綾瀬川に面した斜面下の湧水です。

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大宮台地全体図。岩槻支台は綾瀬川と元荒川の低地に挟まれる。

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岩槻支台の拡大図 綾瀬川の低地に面する崖線の湧水

久伊豆神社下の湧水(?)池

台地の西側のへりに建つ箕輪久伊豆神社。その横の下り坂を下りていくと右側に立派な旧家が見えてきます。この辺りの古くからの家はみな台地上にありますが、こちらのお宅は台地の中腹にあります。

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坂道を下ると旧家が見えてくる(2020年5月17日)

そして旧家の道を挟んで反対側の木立の中に直径十数メートルくらいの小さな池が。

 

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水の注ぎ口は見つからず、台地斜面下にあることから湧水の池だと思われます。池の中には錦鯉が泳いでいますが、そのせいでちょっと濁りがち。

 

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台地下の小道から、旧家を望みます。池はこのお宅の私有地で現在管理されているのではと思います。

 

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2020年1月2日撮影

こちらは冬場に低地側から撮った写真。水田の向こうが池になります。小さな谷頭の湧水なので、溜め池を兼ねていたのではとか、この池を持つお宅は有力な家柄だったのではなどいろいろな想像がめぐります。

崖線の湧水

台地斜面下を北側にたどるといたるところで水が沁みだしています。

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2020年1月2日撮影

以前はもこもこと湧き出る湧水があったのですが、斜面がソーラーパネルや資材置き場になって湧出量は少なくなってしまいました。それでも沁み出る水は小川となって流れます。

 

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2020年1月2日撮影

 ここの流れは赤く染まっていました。鉄バクテリアの影響のようです。ちょっとびっくりしてしまう色合いですが、縄文人もここから赤色の塗料のベンガラを取り出していたというもの。ちなみに台地上は縄文の遺跡が連なり、当時からこれを利用していたのかなあと想像がふくらみます。

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水路に発生した鉄バクテリア 2020年1月2日撮影

さらに北上すると斜面林が残るエリアとなります。

斜面下は運送会社の車庫。その合間から始まる水路でも水が湧き出しています。

 

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2020年1月2日撮影

 

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2020年5月17日撮影

コンクリートの下から湧き出ている(あるいはどこかにつながっている?)水が流れます。5月に訪れた時には小エビ(スジエビ?)が泳いでいました。

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2020年2月24日撮影

その先に行くと斜面下に大きな水たまりが。ここも水が沁みだしているようです。

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2020年2月24日撮影

ここは渇水期には枯れてしまうようですが、2020年は冬季も常に水をたたえていました

台地の斜面林はこの先東北自動車道切通しで寸断されてしまいますが、その工事の際に縄文時代の遺跡が発掘されています。この湧水を利用して当時から人が暮らしていたいたのでしょう。