大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録

地元大宮台地の湧水を中心に、地理、地形好きのお出かけの記録です。

川口市「笹根川」をたどって(2) 西新井宿字松山の谷をめぐる

川口市内の大宮台地鳩ヶ谷支台を水源とする笹根川をめぐる2回目。さらにさかのぼって水源の谷をめぐります。

(前回記事)

iko.hatenablog.jp

続いては東に分かれる比較的大きな谷に行って見ます。この谷のあたりは西新井宿の字松山というようです。仮に「松山の谷」と呼ぶことにします。

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「松山の谷」の色別標高図

谷には畑が広がっていますが、道路がありません。地形図を見ると南側の斜面に沿って細道があるのでそこをたどってみました。

浅間社跡と庚申塔(地図A)

入り口には庚申塔とお社と気になる注意書きが!

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2021年11月撮影

お社の横に階段があり「関係者以外の立ち入りを禁ず 笹根富士講」との立て札が建てられています。

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立ち入り禁止の立て札

こちら側から見るとちょうど富士塚のような外観で気になったのですが、おそらく台地のへりの高まりだと思います。上った先には浅間社の跡の石碑が建っているとの事。確かに明治期の迅速測図ではこの場所は「浅間社」と書かれています。明治末に西新井宿氷川神社と合祀されたようです。

麓のお社は稲荷社。そして庚申塔

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庚申塔 延貞元年(1744)の銘あり

青面金剛像の腕の向きが直角なこの形。「川口型」と呼ばれるそうです。足元の邪鬼と三猿と。庚申塔をじっくり見るようになったのは最近ですが、なかなか味わいがあります。

森の中の道(地図B)と谷の湧水(地図C)

さて、細道を進んでみます。最初は車1台通れるほどの道幅ですが、舗装もなくなりだんだん細くなります。斜面林の中を進む道はだんだん心細い感じに。川口市内とは思えないような山の中です。

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2020年11月撮影

元はもっと見晴らしのいい雑木林で、「松山」というくらいなので、アカマツの林だったのかもしれません。今では照葉樹が増え、下草も多くて鬱蒼としています。この道はこれでも市道として認定された道です。

しばらく行くと谷に出ます。

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2020年11月撮影

道路からアクセスできるあたりだけでも何か所か湧水の流れがあって、谷の中央の水路はそれらを集めて流れているようです。

 

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2020年11月撮影

この辺りはほとんど埋め立てや盛土はされておらず、水田ではなくなっているものの昔からの谷津の雰囲気が残っているのではないかと思います。

雑木林の中から湧水の小さな池が見えました。かつてはこういった水を集めて種もみを直播きする水田「摘田」だったのではと思います。

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2020年2月撮影

谷頭の大規模霊園(地図D)

この谷の上流部は墓地が造成されています。コンクリート水路を流れてくる水は澄んでいるのでどこかで湧き出しているのではないかと思います。

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「松山の谷」の中心を流れる水路。左側は霊園となっている。
 2020年2月撮影

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谷頭の台地から見た「松山の谷」

この付近は市街化調整区域。住宅開発は規制がありあまり行われませんが墓地や老人ホームとして開発されている場所が多いです。ここも谷頭から見下ろすと大規模な霊園が続いています。いまでもこのあたりに松山の谷の支流の水源がありそうです。

調節池(地図E)とそこに注ぐ湧水(地図F)

さて、再度谷の反対側をたどり笹根川に戻ります。谷の入り口の北側には「笹根川第1調節池」があります。「第1」とありますので、第2以降も計画がされているのかもしれません。

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調節池の東側の斜面の際からも湧水がありました。

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2020年2月撮影

この湧水は調節池に注いでいました。こういった湧水を集めて笹根川は流れます。

 

次回は笹根川の本流をさらに上流にさかのぼります。

川口市「笹根川」をたどって(1)下流の暗渠と神根公民館西側の谷の湧水

川口市内の大宮台地鳩ヶ谷支台を水源とする笹根川。長さ3㎞に満たない短い準用河川ですが、台地の西側で多くの支谷を刻んでいます。

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鳩ヶ谷支台の全体図(国土地理院の色別標高図にて作成)

元々は台地上に降った雨や、この谷の湧水が水源の笹根川。いまでもいくつか湧水が残っています。今回は芝川に注ぐ下流側からこの笹根川をたどりながら水源の湧水などもご紹介します。(何度かにわたって訪ねた写真を使用しています)

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今回取り上げる場所の地図 周辺は湧水が多く残る

下流域 低地の暗渠(A)

笹根川は鳩ヶ谷支台を水源に芝川に注ぎますが、低地に出てからの大部分は暗渠になっています。この辺りの大規模ショッピングセンターの草分け的存在だった「川口グリーンシティー」は「イオンモール川口」となり風景が様変わりしました。

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イオンモール敷地内の笹根川暗渠 2021年5月撮影

大きく”SAIBO”と書かれていますが、元々はサイボー(旧社名埼玉紡績)の工場があった場所。現在も不動産はサイボーが所有しているようです。笹根川の蓋暗渠が敷地内の歩道となっています。

イオンモール敷地の外もしばらくは暗渠。

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2021年1月撮影

この辺りは支流も暗渠。元々は水田の悪水路(排水路)だったのではと思います。

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2021年1月撮影

かつては見沼代用水で潤されていた水田もすっかり宅地になってしまいました。水門は用水の頃の名残りでしょうか。

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暗渠沿いに残る水門 2021年1月撮影

水門を過ぎると笹根川の流れが見えるようになります。

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2021年10月撮影

都市河川の割には水質はまずまず。石垣風の護岸で感じがいいですね。

この先、見沼代用水と立体交差し、台地の谷に入っていきます。

川口市立グリーンセンター(B)

笹根川は川口市立グリーンセンターの第一駐車場沿いを流れます。通常は駐車場から川の様子がうかがえるのですが、2021年11月現在、工事中で立ち入ることはできませんでした。

「グリーンセンター」は植木でもある川口市営の植物公園。子どもが小さい頃はよく来ていました。大きな温室がシンボルです。

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2020年4月撮影

特撮ヒーローもののロケ地になっていて、日曜の朝、この見覚えのある風景を見ることがよくありました。最近もちょくちょく出ているはずです。

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大集会堂(シャトー赤紫)

バラの咲く芝生の庭。こちらもよくロケに使われるようです。

園内のミニ鉄道は踏切があったり橋があったり、一緒に乗った大人も結構楽しめます。

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園内の踏切 遮断機もしっかりついている

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鉄橋

園内はちょうど台地と低地の境目にあって起伏に富んでいます。低地の谷地形を利用した池も作られています。

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園内の池

池の水は汲み上げれたものですが、かつては湧水や湿田があったと思われる場所。まだ一部しみ出しているのではなどと想像してしまいます。

 

支流の谷と湧水(神根公民館西側の谷)

笹根川はグリーンセンターの北側で支流が分かれます。まずは西側、川口市神戸と道合の境界を流れる支流を見てみます。

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道合から神戸方面をのぞむ

ここはいわゆる「スリバチ」と呼ばれるような谷地形です。谷を横切る道路から眺めるといかにもな景観が広がります。

この谷の底に笹根川の支流が流れます。こちらは最近蓋がかけられたようで真新しいコンクリートの蓋が続きます。

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支流の流れ 最近蓋がかけられた

コンクリートの蓋沿いを歩くと、水路に合流する流れがあります。

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水路に合流する流れ。水量は結構多い。

回り込んで水源を探してみました。

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畑の中の湧水の流れ

 

奥の方の水源に近付くことはできませんでしたが、湧水のようです。

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水音を立てて流れる。

この湧水も笹根川の水源のひとつ。このような谷の湧水を集めて笹根川は流れます。

 

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流れを観察していたら猫に監視されていました(^^;

こちらは住宅地からの排水路。こちらも笹根川に注いでいます。下水道未整備地域も残ることから、排水も流入してしまうのが残念なところです。

次回はさらに上流をだどります。

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「川幅日本一」を歩く(3)かつての鴻巣「東日本一」のなごりと寺社・湧水

川幅日本一の荒川流域の散策、3回目は再び鴻巣市側の左岸にうつって台地沿いを南下します。斜面沿いの寺社や湧水に加えて、意外なかつての鴻巣市域の「東日本一」を知ることが出来ました。

(これまでの記事はこちら)

iko.hatenablog.jp

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滝馬室氷川神社と「滝馬室」の地名の元となった湧水(地図①)

御成橋から河川敷を台地に沿って南下すると、斜面に鳥居が見えてきます。

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2021年7月撮影

氷川神社の鳥居です。

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2021年7月撮影

参道の左側には小川が流れます。赤い鳥居の前に立派な石積みの階段の水場がありました。斜面側の注水口から水が流れ落ちています。

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2021年7月撮影

すぐ上の神池が水源となってそこから水が流れ出ていました。神社の解説板によると、この付近の「滝間室」という地名の「滝」は、この流れ落ちる湧水が地名の元となったとのこと。この整備された石積みはいつ頃のものでしょうか。かつてはもっと水量が多かったのかもしれません。

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2021年7月撮影

神池には大きなコイやウシガエルのオタマジャクシが泳いでいました。雨の後だったこともありますが、コイが動いてかき回すせいか、結構濁っていました。「かいぼり」したらだいぶきれいになるかも……

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2021年7月撮影

滝間室氷川神社の社殿。なお、集落は台地上にあり、通常は台地側からアクセスするようです。

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社殿の側から低地を見下ろします。この先は河川区域で「川幅日本一」の範囲になります。この氷川神社もで取り上げた甚兵衛稲荷神社(「川幅日本一」を歩く(1)を参照)と同様、鳥居と参道が川側にあるのが何か意味を持つのか非常に気になりました。かつては水運が中心で、あくまで入り口は荒川側だったのかなあなどと想像してみたり。

さらに台地沿いに南下します。

途中、小さな谷地形があり、水路が流れ出ています。斜面沿いにはここにも湧水がありそうです。

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2020年5月撮影

常勝寺と段丘(?)(地図②)

湧水のある谷地形を過ぎると、台地の中腹には建つ常勝寺が見えてきます。

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常勝寺山門

台地上ではなくて段丘の2段目といった感じ。人工的に削平された可能性もありますが、やや南側にも段丘っぽい地形がみられるので自然の地形でないかと想像しています。大宮台地ではめずらしいです。

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付近の色別標高図(拡大)

境内には鎌倉時代の板碑も残されているようで、なかなかの古寺であることは間違いなさそうです。

ちなみに延暦年間に坂上田村麻呂が東征の際に大蛇を退治し、頭を滝馬室氷川神社に、胴体を常勝寺に、尾を吉見町の岩殿観音に埋めたという伝説があるそうです(氷川神社の由緒書きより 出展は不明)。寺号の「龍蔵山」というのもその伝説と関連があるのでしょうか。それぞれなかなか歴史の古い寺社であるようです。

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本堂

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弁財天社

寺内には弁天池と弁財天社があります。祠の上にさらに屋根がかけられていてかなり大切にされています。なかなか古いものかもしれませんが、解説は見つかられませんでした。背後が段丘の斜面ですが、現在は汲み上げた水を池に流しているようです。

原馬室橋(沈下橋)(地図③)

さて、荒川沿いを南下すると沈下橋(沈水橋)の原馬室橋があります。

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原馬室橋 西側から撮影

この橋は軽自動車しか通れない滝馬室橋(「川幅日本一」を歩く(1)を参照)よりは広く、普通車も通行できますが、やはり欄干はロープを張っただけなので結構スリリングです。この橋も河川改修により荒川の対岸となった農地へ行くために架けられた橋です。

原馬室湿地と埴輪窯跡遺跡(地図④)

さらに斜面に沿って南下します。

谷の出口に湿地帯が見えてきました。

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2020年5月撮影

立て看板を見ると「原馬室湿地」。地下水位の高い谷の湿地(元湿田?)を再整備したようです。将来コウノトリの餌場となるように整備したと書かれています。鴻巣市の市名の由来となったコウノトリを呼ぶ取り組みをしているんですね。近年は渡良瀬遊水地コウノトリが営巣していますが、ここに飛来する日が来るでしょうか。

この原馬室湿地の北側の斜面には「原馬室埴輪窯跡」がありました。

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遺跡の解説

古墳時代に埴輪を焼いていた登り窯の跡です。

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登り窯の跡

これはで埴輪がどこで作られていたかあまり考えたことなかったのですが、墳丘全体に並べられたりする埴輪はどこかで大量に作らなければならないわけで、その供給地のひとつがここだったわけです。

登り窯にちょうど良い斜面、制作した埴輪を運ぶための荒川の水運がそろった好適地だったんですね。台地上には埴輪工人たちの集落も発見されているとの事。「滝馬室」「原馬室」の地名の「室」は古墳の石室を意味しているという説もあるようです。この辺り古墳時代はなかなかの要衝だったのかもしれません。

なお、後で調べると鴻巣市内には生出塚埴輪窯跡という東日本最大規模(!)の埴輪窯跡の遺跡もありました。台地の反対側、鴻巣駅から埼玉県民にはおなじみの運転免許センターに向かう途中のあたりにあります。こちらは現在の元荒川の水運を使って埼玉古墳群や遠方では千葉県市原市の古墳まで運ばれていたのとの事。

鴻巣古墳時代には東日本一の埴輪工房の地だったというのは新たな発見でした。

 

「川幅日本一」を歩く(2)横堤の集落 古名新田とその周辺

「川幅日本一」の散策、続いて荒川の対岸、吉見町側にわたります。

※前回です

iko.hatenablog.jp

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横堤と古名新田集落 (地図①)

御成橋を越えた県道東松山鴻巣線は長い築堤の上を通ります。この堤防、「横堤(よこてい)」と呼ばれるもので、埼玉県内の荒川の中流域で特徴的なものです。

横堤は、流量が増加した際に流れを遮る洪水調節、遊水機能のほか、流速を軽減させて河川区域の施設や耕作地を保護する役割を担っているとのこと。

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2021年5月撮影

その中でもここは堤防に沿って河川区域(「川幅」の範囲内)に集落が残る珍しい場所です。

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横堤に沿って家が並ぶ 2021年5月撮影

この集落は吉見町古名新田(こみょうしんでん)。一部旧河道の東側の部分は鴻巣市滝馬室の字御成河岸となっています。ここにはかつて河岸があり、明治初めまでは荒川の水運で栄えたようです。

古名新田はかつては荒川の自然堤防上にあった集落でした(冒頭の地図参照)。しかし、堤外地(川の堤防で守られていない河川区域)に立地することから、洪水の被害を度々受け、河川改修に伴い作られた横堤の南側(下流側)に移転しました。調べてみると昭和13年(1938)の洪水で自然堤防上の集落は2階までの浸水、一部の家は流されるなど甚大な被害を受けて、それを機に移転することになったようです。現在では横堤に沿って一列に家が並んでいます。

横提の下流側といっても、河川区域にある集落ですから、前述の写真のように記録的な大雨になると周囲は水に浸かってしまいます。大変な苦労をしながら暮らしているのではないかと思います。

堤外地に広がる農地

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2021年5月撮影

 古名新田の横堤の北側。広々とした水田が広がっています。上空には猛禽類ノスリが飛んでいました。チョウゲンボウハヤブサの仲間)も見かけました。生態系の上位の猛禽類が多いということはそれだけ自然が豊かなのではと思います。

 この荒川河川敷は麦の栽培も盛んです。二毛作で麦を刈り取った後、水田となります。最近できた鴻巣の名物に「川幅うどん」(川幅日本一にあやかったものすごく幅の広いうどん)がありますが、ここで収穫された小麦を使ってうどんを作ったら名実ともに(?)「川幅うどん」になるのではと思いました。

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一面の麦畑

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2021年5月撮影

訪ねた5月は穂が出た麦と植えたばかりの稲が対照的で美しい光景でした。

稲荷神社と旧御成橋

横堤を走る県道の北側に稲荷神社が鎮座していました。こちらは住所としては鴻巣市滝馬室になるようです。

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2021年5月撮影

稲荷社の境内に石造物が4つ並んでいるのが目に留まりました。

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境内に並ぶ欄干

「御成橋」と刻まれています。調べると旧御成橋の欄干のようです。ちょうどこの神社のある付近が旧河道の橋のある辺りでした。

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2021年5月撮影

横堤のある県道東松山鴻巣線のところで途切れていますが、その北側、南側には元の川の跡がそのまま池になって残っています(地図③)。こちらは集落の南側の荒川の旧河道。周囲は木々に囲まれて自然が豊かです。

次はまた鴻巣市側に戻って台地沿いを歩きます。

 

※参考文献 

磯谷有紀 橋詰直道 (2011) 河川改修に伴う荒川中流域における堤外地集落の移転

<30352D88E9924A81458BB48B6C90E690B62E706466> (komazawa-u.ac.jp)

「川幅日本一」を歩く(1)鴻巣市御成橋付近(湧水、庚申塔、沈下橋等)

埼玉県は県土に占める河川面積の割合が全国一(3.9%)だそうです。「川」と言っても実際に川が流れている場所ではなくて河川法における「河川区域」の面積ですが。

それを元に「埼玉は川の国」というキャッチフレーズがあったりして、海なし県の苦し紛れな気もちょっとしますが、一方で埼玉県という地域の特色をよく表しているのではないかと思います。

f:id:iko-san:20210818154601j:plainそしてそんな「川の国」埼玉の中でも全国に誇る「川幅日本一」の地、鴻巣市と吉見町の間を流れる荒川を訪ねました。前述したようにアマゾン川河口のような本当に川幅が広い場所ではなくて、河川区域の幅が日本一広い場所になります。

それでもなかなか面白い場所であり、川幅日本一の広大さを実感しながら歩くことが出来ます。ちょっと広大すぎるので、自転車でもあった方がいいかもしれませんが。

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今回紹介するスポットの地図

まずは鴻巣市の御成橋周辺をめぐります。

「川幅日本一」の標柱(地図①)

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2021年7月撮影

川幅日本一なのは県道東松山鴻巣線にかかる御成橋の付近。橋のたもとには「川幅日本一」の標柱が建てられています。そこに書かれた川幅はなんと2,537m。河川敷の幅だとしてもすごい長さです。

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2021年7月撮影

この辺りの河川区域、元々は水田でしたが、近年はポピーが植えられて春にはポピーまつりが開催されています。

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2020年5月撮影

こちらの写真はコロナでポピーまつりが中止になった2020年の写真ですが、こほれた種で咲いたのでしょうか。まつりが開催される年は一面に花が咲くようです。広大な河川敷にポピーが咲く様子は改めて見てみたいですね。

「川幅日本一」と言っても、通常はだだっ広い河川敷。しかし大雨の時にはその本領を発揮します。

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国土地理院HPより 右側の橋が御成橋

2019年の台風19号では、まさに川幅いっぱいに水が広がる光景が広がりました。この広大な河川区域が遊水地となって、下流の洪水を防いだと言えます。

下流である川口市内の低地に住む自分は感謝しかありません……

なお、色別標高図を見ると、河川区域(河川敷)の方が、吉見町側の集落がある低地より標高がやや高そうで、堤防が無ければ吉見町は大変なことになりそうです。

御成橋たもとの庚申塔

鴻巣市側は河川敷(河川区域)の外はすぐに台地になっています。この付近は大宮台地でも特に標高が高い場所で標高は25m強。御成橋の横の小道を河川敷に下りていくと、庚申塔が立っていました。

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2021年7月撮影

木の横に立つ素朴な庚申塔。三猿がいて、邪鬼を踏む青面金剛像が彫られていますが、ここの青面金剛はお顔が3つ。ちょっとめずらしいと思います。左側に年号が彫られていますが、正徳四年(1714)でしょうか?なお、ここが鴻巣宿から吉見方面に向かう古道のようです。

 

湧水のある稲荷神社(地図②)

さて御成橋の下をくぐり河川敷を歩きます。このあたりはポピー畑になる休耕田?と現役の水田が広がります。

 

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2021年7月撮影

水田の向こうにこんもりとした森と鳥居が見えました。

気になって行ってみることにしました。低地側から近づく道がないので、台地側に回り込みます。

近づいてみると稲荷神社のようです。地図には「勘兵衛稲荷神社」と記載されています。現在の入り口は台地側にありますが、参道の階段は河川敷の方に続いていました。
歩く人は少ないようで夏草が茂っています。

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2021年7月撮影

草をかき分けて下りてみると、入口の鳥居の横に池がありました。水は澄んでいて、て水路に流れ出ています。この池から湧き出しているようです。

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2021年7月撮影

今は近づく人はいないようですが、立派な石組みがあり、元々は神池として大切
にされていたのかもしれません。

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2021年7月撮影

表参道が河川敷の方に伸びているのも気になります。元々はこちら側にも人が住む場所があったのでしょうか。

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2021年7月撮影

沈下橋(滝馬室橋)(地図③)

再び河川敷の戻ります。地図を見ると御成橋の少し上流側の荒川本流にも橋が架かっているのが気になります。河川敷を歩きながら行って見ることにしました。

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2021年7月撮影

近づいてみると「制限幅員1.6m」の標識が!5ナンバーの乗用車は1.7mありますから、軽自動車しか通れません。

この橋(滝馬室橋)はいわゆる「沈下橋」「冠水橋」と呼ばれる洪水時には川に沈む橋。そのため川の流れの障害になる欄干は設置されていません。

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2021年7月撮影

滝馬室橋から御成橋方面を眺めます。簡易なワイヤーが欄干代わりにありますが、道の狭さと荒川本流の流れの速さでなかなかスリリングです。

沈下橋と言えば高知県四万十川が有名ですが、荒川の中下流にも5ヶ所(2021年現在)残っています。ここは昭和初期に河川改修によって作られた新たな河道。川の対岸になってしまった農地に向かうために架けられました。農作業用の軽トラックが渡れればいいというスペックということなのでしょうか。

次回は荒川本流の対岸、横堤のある集落を歩きます。

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蓮田市 黒浜沼とその水源をたどって(3)北側の谷の水源を目指す

 ずいぶん間が開いてしまいましたが、黒浜沼周辺のご紹介も3回目になりました。今回は沼の北側の谷をさかのぼって水源を探します。

※前回までの記事

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周辺地図

 黒浜沼に流れ込む水路をさかのぼる

沼の上流側ははしご型水路。そこそこの水量があります。(地図A付近)

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2021年5月撮影

トラスト保全地の範囲は湿地帯が残されていますが、私有地に入ると盛り土がされた荒れ地。一時期は畑になっていたのかもしれませんが、すっかり荒れてしまっています。

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2021年5月撮影

県道蓮田杉戸線の北側は谷の幅いっぱいのグランド。ここで水路は谷の東側と西側に分かれます。

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2021年5月撮影

まずは東側の水路をさかのぼってみます。

谷の東側の水路をたどる

グランド沿いを流れる水路。排水路の外観ですが、なかなか澄んだ水が流れています。

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2021年5月撮影

上流に湧水があるのではと期待して流れをさかのぼりますが……

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2021年5月撮影

グランドの横を過ぎると、フェンスに阻まれて立ち入り禁止!

水路は病院の敷地内に入ってしまいます。林の中に道が続いていますが、入ることはできません。

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2021年5月撮影

森の中から流れ出る小川。水源が気になりますが、残念……

古道沿いの馬頭観音(地図B)

立ち入り禁止のフェンスの手前に馬頭観音の石造物がありました。

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天保九年」と刻まれている

この馬頭観音、道標になっていて、側面に地名が刻まれています。

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「西方 原市」の文字が見えます。現在の上尾市原市。当時はその名の通り市が立ち、人が集まる町だったのでしょう。

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「北方 さって」「東方 すぎと」の文字。

フェンスの先に続いていく谷沿いの道は幸手方面への古道、そして東は杉戸。谷を渡る道は現在の県道蓮田杉戸線にあたる古道だったようです。現在は東側も病院の敷地となり、道はなくなっていました。

林の中の流れと西側の支谷の湧水

いったんグランドの横に戻って、今度は西側の水路をたどります。こちらも東側と同じような排水路。水もなかなか澄んでいます。

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グランドの先に西側に分かれる谷があり、流れが2つに分かれます。

西側の谷の流れを確認しに回り込んでみました。

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2021年5月撮影

林の中に美しい流れがありました。ここだけ切り取って見るとどこかの高原のようです。

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2021年5月撮影

水の中には10㎝ほどの魚が何匹も泳いでいました。あまり詳しくはありませんが、アブラハヤとか在来の魚なのではと思います。

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2021年5月撮影

流れがあるのは向こうの林の際のあたり。手前の休耕田も初夏の季節は草原のようでした。

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2021年5月撮影

本来は片側は水田、雑木林ももう少し手入れがされている状態だったのかもしれません。でもほんのひと区間ではありますが、こんな風景があるとうれしいですね。

この上流は通常のコンクリート水路になり、セキスイハイムの工場の敷地の中に入っていきます。途中の水路を見ると水がしみ出しており、透明度も高い水なので湧水があるのかもしれませんが、特定はできませんでした。

※この水路の水源はセキスイハイム工場内のプラント冷却水(地下水をくみ上げて利用)との情報をいただきました。澄んだ水が流れているのはそのためのようです。

この支谷の反対側の斜面の境でも水がしみ出していました。

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2021年5月撮影

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2021年5月撮影

奥に見えるのはセキスイハイムの工場。このちょっとした湿地帯から水が流れ出しています。かつてはこれらの水を水田に利用していたのでしょう。

北側の谷の水源の湧水

 改めて今度はメインの谷の流れをたどります。

この辺りから谷の中には太陽光発電のパネルが並びます。元々谷津の水田や湿地があったところを造成したのであれば自然破壊ですが、このあたりはそれ以前に残土で埋められていたようでもあるので、その場合は遊休地の有効活用と言えるかもしれません。太陽光発電はどのように作るかで全く意味合いが変わってくるのではと思います。

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2021年5月撮影

水路には鬱蒼とオランダガラシ(クレソン)が茂っていました。

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2021年5月撮影

草の茂る素掘りの水路ですが、ちょっと匂いがあります。西側は住宅が建て込んでいるので、排水が流入しているのかもしれません。排水以外にも途中から水がしみ出して水源となっているようです。

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2021年5月撮影

谷の奥まで進むと水路の水は涸れてしまっていましたが、ソーラーパネルの狭間に水が湧きだしているのを見つけました。(地図C付近)

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2021年5月撮影

この水は谷の東側に流れています。

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2021年5月撮影

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2021年5月撮影

途中、キショウブの生えるちょっとした湿地を経て、斜面沿いを南下。

 

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2021年5月撮影

斜面沿いを森の中に消えていきます。これは馬頭観音のあったフェンスの先の流れの水源のようです。

黒浜沼の北側の谷の水源をこれで確認することが出来ました!

黒浜沼の周辺、谷津は埋め立てされてしまっているところも多いですが、まだ自然が残り、沼の水源も大部分が湧水のようです。このままうまくこの自然を守っていければいいなあと思いました。

 

 

蓮田市 黒浜沼とその水源をたどって(2)西側の谷と新井堀の内遺跡

前回の黒浜沼周辺の散策に続いて、水源を探しながら谷をさかのぼってみます。

※前回

iko.hatenablog.jp

黒浜沼の上流にも谷が続き、枝分かれしています。黒浜沼の水源はそこを流れる水路。

それらの谷をさかのぼって水源を探してみました。「谷」と言っても標高の低い大宮台地。周囲との高低差は3~8mくらいの浅い谷です。

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 A 下沼上流の谷

まずは下沼に流れ込むこの水路。素掘りの水路(ひょっとして埋もれてしまっただけかも)で自然度が高い水路です。

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2021年5月撮影

この水路沿いを歩くことはできません。次に道路に接するのは黒浜南小学校の東側。

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2021年5月撮影

 この辺りも素掘りの水路になっています。生き物もいそうですが、囲いがあって近づけません。

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2021年5月撮影

畑の一画に水が沁みだしている場所がありました。掘りこんで湧き出した地下水を畑の水やりなどに使っているようです。周囲にはセリやハナショウブなどが生えます。

この水路は黒浜南小の敷地内から流れ出しています。校庭に浸透した水のほかにこのような湧水が水源になっていそうです。

 

B 上沼西側の谷

続いて上沼の北側から西に入る谷。いきなり住宅地の暗渠になり、県道を越えて再び地表に現れますが、周辺は埋め立てられた荒れ地。近づくことが出来ません。

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2021年5月撮影

 再び流れに近づけるところまで行って見ました。

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2021年5月撮影

水路が二手に分かれて合流していますが、水はありません。先ほどのところには流れがあったので、その間のどこかで水が湧いているのかもしれません。

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2021年5月撮影

上流側も水がありませんが、素掘りになり、キショウブが咲いていました。普段は水がありそうな気配です。

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2021年5月撮影

さらに谷をさかのぼると水田がありました。この辺りの谷は埋め立てられておらず、元の地面の高さになっています。

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2021年5月撮影

水田の水は井戸からくみ上げられていました。水田の余水の排水路もあります。農繁期はこれも水路の水源になっていそうです。上の写真の向こうに見える森は「ふるさと緑の景観地」に指定された斜面林。その向こうの台地上にある「新井堀の内遺跡」にも行って見ました。

C 新井掘の内遺跡

「新井堀の内遺跡」は、戦国時代当時の岩付(岩槻)城主太田資正の家臣だった野口多門の居館跡と言われています。かつては周囲に堀がめぐらされており、「堀の内」の地名が残っているとの事。

ここでは道路建設に伴う発掘調査で、2017年に大甕に入った約26万枚にも及ぶ古銭が発見されニュースにもなりました。

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埋蔵銭の模型 蓮田市文化財展示館にて

この量は国内でも最多クラス。発掘調査では他に2カ所、同じように甕が埋められていた跡と思われる場所が見つかっています。この甕だけ見つけられずに残されたようです。太田資正の軍資金だったのか?想像がふくらみます。

発掘調査では二重の堀が見つかりましたが、現在では埋め戻されています。

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新井堀の内遺跡周辺 2021年5月撮影

見たところ台地上には堀の痕跡もなく、当時の面影はあまりなさそうでしたが、先ほどの谷に下りていく道が、ひょっとすると堀の跡では?と思う趣がありました。

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2021年5月撮影

「ふるさと緑の景観地」に指定された雑木林の中の道。その北側には先ほどの谷と水路があり、ひょっとするとそれも堀の跡かもしれません。

 

次回は北側の谷をさかのぼって水源を探します。

続きはこちら。

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