岩槻区 「真福寺谷」をたどる(2) 谷頭の真福寺貝塚へ
さいたま市岩槻区の「真福寺谷」をたどる2回目。今回は谷頭の国指定史跡真福寺貝塚を訪ねます。
(前回の記事)
谷をさかのぼり真福寺貝塚へ
前回の鶴姫神社の北側で90度曲がった谷、このあたりも盛り土された中を水路が流れます。
ここは耕地整理されたわけではなく、湿田を個別に盛土した感じ。道路は整備されておらず、写真のように荒れ地になっているところも目立ちます。
貝塚の周辺は公有地化されたため、谷も盛り土されておらず元の高さです。中央に見えるのが水路が一番低いですが、周囲との高低差はわずか。なかなか大宮台地らしい景観だと思います。そしてこの谷から写真右側の高まりにかけてが真福寺貝塚です。
真福寺貝塚の湧水・湿地帯
上は北側から谷とその向こうの貝塚方面を見た写真です。谷の部分はかつては水田(湿田)だったようですが、公有地化されてからは湿地になっています。写真にも水がしみ出して水たまりになっている部分が見えます。菜の花の咲く水路の奥側、白いビニールがかぶせられている部分は2022年現在も発掘調査が続けられている場所です。
水路の脇には雨の多い時期には池となる窪地があります。こちらはかつてのため池の跡との事。田んぼの水を湧水と雨水で賄っていたころの名残りですね。大宮台地で開析谷にため池が残っているところはほとんどなさそうなので、貴重なのではないかと思います。
上は降水量がとても多かった2019年の写真。道路わきから湧水の流れが出来ていました。白いものは貝殻。今は台地上が宅地化されたこともあり、地下水位が下がってしまっていますが、かつては常時このような湧水があったのかもしれません。
国指定史跡 真福寺貝塚
真福寺貝塚そのものについてはさいたま市のサイトにて詳しく解説されていますが、大きな特徴は以下の通り。
・縄文時代後期から晩期にかけての長期間(約1200年間)居住された痕跡のある遺跡。
・重要文化財のみみずく土偶や各年代の土器など貴重な資料が発掘されている。
・環状盛土、住居跡、貝塚、低地(泥炭層)が一体的にかつ良好な状態で保存されている。また泥炭層が発達しているおかげで、通常は残りにくい有機質の遺物が多く発見されている。
1,200年間というのはすごいですね。住むのに適した環境だった現れではないでしょうか。そして、その要因のひとつがこの真福寺谷で水(湧水)が得られたことだったのではと思います。また興味深いのは、2021年度の発掘調査で近世の水場の跡も発見されていること。貝塚が作られなくなった後も、この湧水は長い間人々に利用されてきたことがわかります。
こちらはさいたま市のサイトの詳細な貝塚の図面。谷の東側に集落跡が直径200mほどの環状の高まりとなって残っています。
上の図でグレーになっている部分が「真福寺谷」にあたる谷地の部分です。図では「水辺の活動域」と書かれていますが、こちらから大量の土器とともに、土偶や当時食べられていた木の実、動物の骨、漆器なども出土しています。真福寺谷が貝塚に近接していたために、本来は残りにくいこういった有機質の遺物が、泥炭層の中で保存され、真福寺貝塚の重要性を高めているという事ですね。
ここからは鹿やイノシシのなどの陸上動物の骨のほか、海の魚やクジラの骨なども見つかっていて当時の食生活を伺うことができます。真福寺貝塚が形成された縄文時代後期~晩期は縄文海進のピークを過ぎていて、海はすでに遠ざかっていたようなのですが、このような海の生き物をどのように手に入れていたのか興味深いです。出土する貝類も汽水域に生息するヤマトシジミが中心で、その他もマガキやハマグリなど海域で採れる貝も多く構成されているそうです。
真福寺貝塚は発掘調査が続けられていることもあり、通常は中に入ることはできませんが、年に1回発掘調査現地見学会が実施されています。2020年11月に実施された見学会に参加した際は、遺跡埋蔵状況の説明や発掘されたばかりの出土品を見学することが出来ました。
西側の谷に向かってトレンチを掘って調査しています。
谷は発掘調査で掘ると水が出てきています。ポンプで水を排水したりしているようですが、雨の多い年は苦労されているようです。
一方で、この地下水によって形成された黒い泥炭層から貴重な遺物が発見される、その様子を間近で見ることが出来ました。
また出土したばかりの土偶も展示されていました。
ここでは国の重要文化財「みみずく土偶」が出土していますが、まだこれからも新たな発見があるかもしれません。
最新の発掘調査状況についてはさいたま市のWEBサイトに詳しく解説されています。
将来的に真福寺貝塚は史跡公園として整備する計画とのこと。どのような公園ができるかとても楽しみです。