大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録

地元大宮台地の湧水を中心に、地理、地形好きのお出かけの記録です。

蓮田市 「神の使いの亀」がいた台地の谷の溜め池跡(天神溜と八幡溜)

蓮田市街は、元荒川と綾瀬川に挟まれた、細長い大宮台地岩槻支台の上を中心に広がります。台地は蓮田市域では広いところでも幅1.5㎞ほどですが、蓮田市街の西側に2本の谷が入り込んでいます。

実家に近い蓮田市は私にとってなじみのある場所ですが、この2つの谷に、江戸時代まで溜め池があったということを知ったのはつい最近のことです。そのきっかけは日本酒の名前「神亀」。今回は蓮田市の大宮台地岩槻支台の谷にあったという二つの溜め池の跡をたどります。

蓮田付近の台地の地形と2つの溜め池跡(筆者による推定位置)

神の使いの亀がいた池(天神溜)

台地の一番標高の高い辺りに屋敷林に囲まれて神亀酒造があります。嘉永元年(1848)創業とのこと。(地図中A)

森に囲まれる新亀酒造の敷地。右手に向かうのはかつて菖蒲道だった古道。

こちら日本酒好きの方には純米酒で結構有名なんだとか(お酒が飲めないので昔はあまり知らなかったです…)。この酒蔵の社名でもあり、純米酒のブランドでもある「神亀」。その名前はかつて酒蔵の裏手にあった「天神池」の神の使いの亀が由来と神亀酒造のサイトにありました。

(参考:神亀酒造サイト https://shinkame.co.jp/about/)

神亀酒造は見学は出来ませんが、こちらの酒屋さんが直売店となっており購入できます。
タバコ屋と丸ポストで昭和の佇まい。

この「天神池」とはどこにあったのか。

神亀酒造さんの裏手は、区画整理がされてかなり地形が改変されてしまいましたが、谷地形になっています。

この谷の谷頭にあたる部分、現在は「根ヶ谷戸公園」(地図中B)として整備されています。この谷は「根ヶ谷戸」と呼ばれていたようで、公園の名前にかろうじて名前を残しています。

根ヶ谷戸公園 谷地形を活かして滑り台などを設置

根ヶ谷戸公園はその谷地形を活かしてはいますが、かなり改変されています。夏には水遊び用に人工の流れもできるようですが、「天神池」の面影はありません。

公園の周辺を歩いていると、北側の斜面の上、市道に面して白山神社の祠(地図中C)が残されていました。

祠と解説板

解説板によると、この白山神社の祠は、この谷にあった溜め池「天神溜」のご神体、水の神様であったとの事。この「天神溜」が「天神池」にあたるようです。こんなところに池の痕跡が残っていました。

なお、「天神溜」という名前の元となったと思われる天神社は谷頭の西側の高台に鎮座しています。

天神社とこの白山神社の祠に面した谷が池だったのではないかと想像し、入手できる最も古い航空写真(戦後間もなくの米軍撮影の航空写真)から溜め池の堰堤の位置を想像してみました。

1947年米軍撮影航空写真の「根ヶ谷戸」(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより)

現在この付近の低地の水田(大字馬込にあたる)は見沼代用水からの水が引かれていますが、旧馬込村が見沼代用水の用水組合に加入したのは明治に入ってからとのことなので、それまでは灌漑用水として利用されていたのかもしれません。高低差の少ない大宮台地で湧水と雨水を貯めるこの溜め池の水は貴重だったのだろうと思います。

天神溜については蓮田市史等でも調べてみましたが、記載は見つけられず、実際どのような規模であったのかわかりません。

天神溜から根ヶ谷戸を流れていたであろう水路は、区画整理により全く痕跡が亡くなってしまいました。公園の祠と、日本酒の名前から当時の風景を思い起こします。

根ヶ谷戸の谷を慶福寺の南側から。奥に見えるのが神亀酒造の敷地の屋敷林。

谷津の景観が残る「八幡溜」(地図中D)の谷と湧水

一方、JR宇都宮線付近から西向きに形成されている谷。「天神溜」を調べていた際に、こちらいも溜め池があったことがわかりました。

この谷の「八幡溜」については『新編武蔵風土記稿』の下蓮田村の項に記載されています。「古は八幡溜という溜井ありて村内の用水となせしが…」と『新編武蔵風土記稿』が編纂された文政年間の頃には、溜め池が無くなってからかなりの時間が経過していることがわかります。なお、付近の小字名には「溜ノ端」という地名が今でも残っているようです。

溜め池の名前の「八幡」は谷頭の東側、蓮田村の鎮守の八幡神社が由来だと思われます。

1947年米軍撮影航空写真の八幡溜付近(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより)

谷頭付近は駅に近いこともあり、戦後比較的早くから住宅が建っているようです。水路は暗渠になっていますが、水音が聞こえます。暗渠から出てくる水は澄んでいて、暗渠内に湧水が流れ込んでいることが想像されます。

暗渠から出たばかりの水路。水は澄んでいる。

その先はかつての溜め池だったと思われるエリア。

かつて湿田だったと思われる谷は湿地帯となり、南西側は屋敷林を兼ねた雑木林が残っており、谷津(谷戸)の雰囲気が残っています。

右岸側の湿地からは水路に湧水と思われる澄んだ水が注いでいました。

湿地帯から流れ出す水(地図中F)

かつての溜め池の水源のひとつだった湧水が、こちらの谷にはまだ残っているようです。

八幡溜は見沼代用水が開削され用水が確保されるようになると役割を終えました。「新編武蔵風土記稿」によると上蓮田村、下蓮田村二村の「段高場」となったと記載があり、収量の低い湿田になったのだろうと思います。

かつて八幡溜の用水を使用していたと思われる一帯は、見沼代用水からの用水が引かれた水田が現在も広がっています。

下蓮田の低地の水田 現在は見沼代用水からの水が引かれる

大宮台地周辺は現在は溜め池がほとんど残っていませんが、日本酒の銘柄「神亀」の由来をたどるうちに、かつて利用されていた溜め池の姿を垣間見ることが出来ました。

 

参考文献

蓮田市教育委員会蓮田市史通史編1』2002年

新編武蔵風土記稿 (国立国会図書館デジタルコレクションより)