大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録

地元大宮台地の湧水を中心に、地理、地形好きのお出かけの記録です。

川口市「笹根川」をたどって(2) 西新井宿字松山の谷をめぐる

川口市内の大宮台地鳩ヶ谷支台を水源とする笹根川をめぐる2回目。さらにさかのぼって水源の谷をめぐります。

(前回記事)

iko.hatenablog.jp

続いては東に分かれる比較的大きな谷に行って見ます。この谷のあたりは西新井宿の字松山というようです。仮に「松山の谷」と呼ぶことにします。

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「松山の谷」の色別標高図

谷には畑が広がっていますが、道路がありません。地形図を見ると南側の斜面に沿って細道があるのでそこをたどってみました。

浅間社跡と庚申塔(地図A)

入り口には庚申塔とお社と気になる注意書きが!

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2021年11月撮影

お社の横に階段があり「関係者以外の立ち入りを禁ず 笹根富士講」との立て札が建てられています。

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立ち入り禁止の立て札

こちら側から見るとちょうど富士塚のような外観で気になったのですが、おそらく台地のへりの高まりだと思います。上った先には浅間社の跡の石碑が建っているとの事。確かに明治期の迅速測図ではこの場所は「浅間社」と書かれています。明治末に西新井宿氷川神社と合祀されたようです。

麓のお社は稲荷社。そして庚申塔

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庚申塔 延貞元年(1744)の銘あり

青面金剛像の腕の向きが直角なこの形。「川口型」と呼ばれるそうです。足元の邪鬼と三猿と。庚申塔をじっくり見るようになったのは最近ですが、なかなか味わいがあります。

森の中の道(地図B)と谷の湧水(地図C)

さて、細道を進んでみます。最初は車1台通れるほどの道幅ですが、舗装もなくなりだんだん細くなります。斜面林の中を進む道はだんだん心細い感じに。川口市内とは思えないような山の中です。

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2020年11月撮影

元はもっと見晴らしのいい雑木林で、「松山」というくらいなので、アカマツの林だったのかもしれません。今では照葉樹が増え、下草も多くて鬱蒼としています。この道はこれでも市道として認定された道です。

しばらく行くと谷に出ます。

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2020年11月撮影

道路からアクセスできるあたりだけでも何か所か湧水の流れがあって、谷の中央の水路はそれらを集めて流れているようです。

 

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2020年11月撮影

この辺りはほとんど埋め立てや盛土はされておらず、水田ではなくなっているものの昔からの谷津の雰囲気が残っているのではないかと思います。

雑木林の中から湧水の小さな池が見えました。かつてはこういった水を集めて種もみを直播きする水田「摘田」だったのではと思います。

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2020年2月撮影

谷頭の大規模霊園(地図D)

この谷の上流部は墓地が造成されています。コンクリート水路を流れてくる水は澄んでいるのでどこかで湧き出しているのではないかと思います。

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「松山の谷」の中心を流れる水路。左側は霊園となっている。
 2020年2月撮影

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谷頭の台地から見た「松山の谷」

この付近は市街化調整区域。住宅開発は規制がありあまり行われませんが墓地や老人ホームとして開発されている場所が多いです。ここも谷頭から見下ろすと大規模な霊園が続いています。いまでもこのあたりに松山の谷の支流の水源がありそうです。

調節池(地図E)とそこに注ぐ湧水(地図F)

さて、再度谷の反対側をたどり笹根川に戻ります。谷の入り口の北側には「笹根川第1調節池」があります。「第1」とありますので、第2以降も計画がされているのかもしれません。

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調節池の東側の斜面の際からも湧水がありました。

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2020年2月撮影

この湧水は調節池に注いでいました。こういった湧水を集めて笹根川は流れます。

 

次回は笹根川の本流をさらに上流にさかのぼります。