岩槻区平林寺~馬込の綾瀬川沿い 台地の露頭と謎の土塁「シンボリ」、水神様の湧水
今回は岩槻区の平林寺から馬込にかけての綾瀬川沿いを地質や歴史、湧水を見ながら歩きます。
「硬砂」の露頭(冒頭の地図A)
国道122号から、東北自動車道にかかる陸橋「前原橋」を綾瀬川方面に下りていくと、途中に斜面林を切りとおした露頭が見られます。
表土の黒土、その下の赤茶色の関東ローム層の下に灰褐色の地層が観察できます。
この部分手に取ってみると粗い砂っぽい。表面は風化してボロボロとこぼれますが、結構固まって硬い層です。
これは大宮台地でも局所的に分布する「硬砂層」という砂が凝固してできた地層のようです。元は大きな川沿いに出来た内陸性の砂丘。その上にローム層が堆積したので、硬砂層が分布するところは標高がやや高めとされています。
※参考文献 大宮台地に分布する硬砂層の性質と堆積環境 (jst.go.jp)
大宮台地周辺では石がほとんど採れなかったため、古代は石の代わりに使われていたとのこと。黒浜貝塚ではカキの着床用に使われ、一部の古墳では石室の材料にも使われたそうです。
硬砂層の下は赤っぽい土になります。こちらは「大宮層」と呼ばれる台地の基盤となる地層。赤褐色なのは火山灰を多く含むためで、上記の論文では「ヌカ砂層」と呼んでいました。
最近では露頭自体が減っている中で、ローム層の下の「硬砂」などを観察できる貴重な場所です。
謎の土塁「シンボリ」の名残り(冒頭の地図B)
低地への坂道を下りていきます。なお、道の左側の大きな煙突は元産廃処理場。残された産廃が山になっていてちょっと困った状況です。
綾瀬川の橋(高野橋)から綾瀬川沿いを歩きます。なお、夏場は草が茂って歩きにくいかもしれません。
この辺りは台地の斜面林のすぐ脇を綾瀬川が流れます。元々は台地に接したり離れたり蛇行していたものを戦前に直線化しています。
しばらく行くと台地上に上がる小道があります。その西側、ちょうど大字平林寺と馬込の境に「シンボリ」と呼ばれる土塁の痕跡が残っています。
地図中ではBの部分、色別標高図ではうっすらと帯状の高まりが確認できます。
この土塁跡は、東北道で寸断されていますが北側も確認できます。南北方向に谷が入って岩槻支台が一番細くなったところで、過去の航空写真ではくっきりと確認できます。
国道122号から見た現地の様子です。道路沿いは平らになっていますが、奥側には土塁が残っています。
写真ではわかりずらいですが、土塁の高さは2m程度、西側(写真の右側)にはだいぶ埋まってしまっていますが、堀状の窪地も残ります。
この土塁、地元では「シンボリ」(「新堀」か?)と呼ばれ、さいたま市の散策マップ※PDFファイルiwatsuki_sansaku12.pdf (city.saitama.jp)によると、かつてあった平林寺(寛文3年(1663)に新座に移転)の土塁説や、岩槻城の外構説があるとのこと。
中世の戦乱期に作られたと思われる謎の土塁です。
水神様の湧水(冒頭の地図C)
再び綾瀬川沿いを歩くと、その名も「水神橋」が現れます。
水神橋の上流側は、斜面林と屋敷林に挟まれ、綾瀬川流域では最も自然度が高いのではという景観。
川沿いに歩くと斜面林の中に、橋の名前の由来となった水神様(おそらく)の祠が祀られています。そして祠の前からは水が湧きだしています。
由来はよくわかりませんが、この湧水があるために祀られた祠なのではと思います。元々は雑木林も手入れされていたはずですが、下草が生えて鬱蒼として残念ながらあまり近づくことができません。
もう少し進むと川と斜面が少し離れます。ここでも斜面の下から水が湧きだして綾瀬川にそそいています。
この辺り、昭和の頃まではヘイケボタルが見られました。最近は見られなくなってしまったのでは。近くにゴルフ練習場もできて夜でも明るくなってしまいました。
綾瀬川はかつては「日本一汚い」川として名をはせていましたが、近年は流域の下水道の整備等により、だいぶ改善されきれいになってきました。まだヘドロやゴミが多く残っていますが、これが無くなれば、かつての「泳げた」という水質に近付くのではないかと思います。
この辺りの緑も湧水も残って、いつかまたヘイケボタルが復活する日が来ればいいなあと思います。