大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録

地元大宮台地の湧水を中心に、地理、地形好きのお出かけの記録です。

さいたま市見沼区 笹丸地区を囲む谷の湧水と畑の水場

今回は、旧大宮市域、見沼区の大字笹丸の三方を取り囲むように入り込む谷の湧水をご紹介します。住所的には東側は染谷、西側は東新井との境にあたります。

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大宮台地全体図

元々は見沼だった芝川沿いの低地(見沼田んぼ)と加田屋川の低地に挟まれた台地は「片柳支台」と呼ばれます。その中でも東側から入り込む比較的大きな谷。谷の出口はさいたま市営霊園となって造成されています。墓地ですが公園のような雰囲気。売店では産直野菜まで売っています。

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外周の河津桜の並木 2020年3月撮影

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墓地の売店。お花などだけでなく、産直野菜も売っている。

こちらを起点に笹丸地区を囲む谷の湧水をめぐります。

 

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染谷氷川神社と笹丸荒神社(A)

 さいたま市営霊園の前の道を染谷方面に行くと間もなく染谷氷川神社があります。嘉吉2年(1441)に創建したと伝えられていて、江戸期には染谷村の鎮守だった神社。北側はすぐに市営霊園の低地で台地の先端に鎮座します。

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2021年1月撮影

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境内にある力石


谷を挟んで大字笹丸の北の端には笹丸荒神社。荒神社は埼玉では珍しい気がします。笹丸村が成立した江戸前期に鎮守として祀られたとのことなので、何か理由があるのかもしれません。

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2021年1月撮影

荒神社も台地の先端。北側の谷の方を見ると、ヤナギ類が生えて湿地っぽい植生となっています。休耕田だと思いますが、あまり藪にはなっておらず、手入れがされているのかもしれません。

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東側の谷の湧水①(B)

笹丸の集落から東側の谷に下りていくと、湧水の流れがあります。

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2020年3月撮影

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2020年3月撮影

周辺は盛り土されていますが、元の高さの水路から水が湧きだして流れています。ただ、畑の除草剤か何かの影響があるのか、流れの中に草は生えていません。生き物が見られないのはちょっと残念。

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谷の中央の水路。周辺は緑が多い

東側の谷の湧水②(C)

染谷側の台地上を歩いて、次に谷を横切る道に向かいます。

この辺りも緩い斜面下に湧水がありました。境界杭のあたりから湧き出しています。

 

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2020年2月撮影

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2020年2月撮影

この辺りはかなり緩やかな谷で、大宮台地らしい湧水です。古い地形図を見ると水田になっているので、この湧水と天水(雨水)を利用して稲作が行われていたのだと思います。

水路はもう少し先の谷頭から続いていますが、近寄れないため断念。

 

畑の水場(D)

次に大字笹丸の西側の谷に向かいます。谷頭の方は水路に近づけず湧水は未確認。

谷の西側に小道があるのでそちらを歩きます。これでも市道であることは確認済み。のどかな畑の中の道です。

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2021年1月撮影

しばらく行くと、家庭菜園として貸し出されていると思われるエリアがありました。その一角に水のたまった穴とそこからつながる水路が。

 

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畑の水場として利用しているのではないかと思います。

 

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大宮台地の谷地では、穴を掘ってしみ出してきた地下水を摘田(直播きの水田)や畑に利用してきたとの記録があります。そういったものの名残りともいえそうです。

(参考 上尾の摘田 耕作の再現映像もあります) 

ageobunkaisan.jp

 

この畑を過ぎて、市営霊園に戻る道の途中に「小松台牧場」の看板があります。畜舎は道路から入ったところにあってよく見えませんが、さいたま市内では数少ない現役の牧場のようです。

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高度経済成長期までは、比較的都心に近いところでも牧畜が行われていました(都内では中野区や世田谷区など)。現在ではさいたま市では私が確認する限りここと西区の秋葉神社近く(こちらのブログ記事参照:さいたま市西区 指扇辻川の湿原と秋葉神社 - 大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録 (hatenablog.jp))だけになってしまったと思います。

 

見沼区内も都市化が進み、多くの谷が埋め立てられて宅地化されました。市街化調整区域として残るこの谷は緑が多く、かつての景観をとどめています。