大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録

地元大宮台地の湧水を中心に、地理、地形好きのお出かけの記録です。

「川幅日本一」を歩く(2)横堤の集落 古名新田とその周辺

「川幅日本一」の散策、続いて荒川の対岸、吉見町側にわたります。

※前回です

iko.hatenablog.jp

f:id:iko-san:20210902184324j:plain

横堤と古名新田集落 (地図①)

御成橋を越えた県道東松山鴻巣線は長い築堤の上を通ります。この堤防、「横堤(よこてい)」と呼ばれるもので、埼玉県内の荒川の中流域で特徴的なものです。

横堤は、流量が増加した際に流れを遮る洪水調節、遊水機能のほか、流速を軽減させて河川区域の施設や耕作地を保護する役割を担っているとのこと。

f:id:iko-san:20210818230016j:plain

2021年5月撮影

その中でもここは堤防に沿って河川区域(「川幅」の範囲内)に集落が残る珍しい場所です。

f:id:iko-san:20210818230431j:plain

横堤に沿って家が並ぶ 2021年5月撮影

この集落は吉見町古名新田(こみょうしんでん)。一部旧河道の東側の部分は鴻巣市滝馬室の字御成河岸となっています。ここにはかつて河岸があり、明治初めまでは荒川の水運で栄えたようです。

古名新田はかつては荒川の自然堤防上にあった集落でした(冒頭の地図参照)。しかし、堤外地(川の堤防で守られていない河川区域)に立地することから、洪水の被害を度々受け、河川改修に伴い作られた横堤の南側(下流側)に移転しました。調べてみると昭和13年(1938)の洪水で自然堤防上の集落は2階までの浸水、一部の家は流されるなど甚大な被害を受けて、それを機に移転することになったようです。現在では横堤に沿って一列に家が並んでいます。

横提の下流側といっても、河川区域にある集落ですから、前述の写真のように記録的な大雨になると周囲は水に浸かってしまいます。大変な苦労をしながら暮らしているのではないかと思います。

堤外地に広がる農地

f:id:iko-san:20210820174747j:plain

2021年5月撮影

 古名新田の横堤の北側。広々とした水田が広がっています。上空には猛禽類ノスリが飛んでいました。チョウゲンボウハヤブサの仲間)も見かけました。生態系の上位の猛禽類が多いということはそれだけ自然が豊かなのではと思います。

 この荒川河川敷は麦の栽培も盛んです。二毛作で麦を刈り取った後、水田となります。最近できた鴻巣の名物に「川幅うどん」(川幅日本一にあやかったものすごく幅の広いうどん)がありますが、ここで収穫された小麦を使ってうどんを作ったら名実ともに(?)「川幅うどん」になるのではと思いました。

f:id:iko-san:20210902175602j:plain

一面の麦畑

f:id:iko-san:20210820175227j:plain

2021年5月撮影

訪ねた5月は穂が出た麦と植えたばかりの稲が対照的で美しい光景でした。

稲荷神社と旧御成橋

横堤を走る県道の北側に稲荷神社が鎮座していました。こちらは住所としては鴻巣市滝馬室になるようです。

f:id:iko-san:20210829095709j:plain

2021年5月撮影

稲荷社の境内に石造物が4つ並んでいるのが目に留まりました。

f:id:iko-san:20210829100530j:plain

境内に並ぶ欄干

「御成橋」と刻まれています。調べると旧御成橋の欄干のようです。ちょうどこの神社のある付近が旧河道の橋のある辺りでした。

f:id:iko-san:20210902175417j:plain

2021年5月撮影

横堤のある県道東松山鴻巣線のところで途切れていますが、その北側、南側には元の川の跡がそのまま池になって残っています(地図③)。こちらは集落の南側の荒川の旧河道。周囲は木々に囲まれて自然が豊かです。

次はまた鴻巣市側に戻って台地沿いを歩きます。

 

※参考文献 

磯谷有紀 橋詰直道 (2011) 河川改修に伴う荒川中流域における堤外地集落の移転

<30352D88E9924A81458BB48B6C90E690B62E706466> (komazawa-u.ac.jp)