大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録

地元大宮台地の湧水を中心に、地理、地形好きのお出かけの記録です。

加須市 浮野の里(2) 掘り上げ田周辺の暮らしと自然

前回に引き続き、浮野の里の遊歩道のエリアから出て、水田地帯を歩きます。

※その(1)はこちら

iko.hatenablog.jp

 

案内図には「ふるさとの路」としてルートが書かれていますが、現地には案内はほとんどありません。地図を片手にぶらぶらしてみました。

田堀りの湿地

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「ふるさとの路」の看板 2021年5月撮影

訪ねたときはちょうど田植えシーズン。用水路に豊かな水が流れます。

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現在は用水が整備されている

こちらのエリアにも掘り上げ田の名残り、「田堀」のクリークが残っています。写真のアシが生い茂る湿地が田堀の跡。

 

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「田堀り」のクリーク 手前側と奥側にも櫛状の名残りが見える。

 もう田舟が行きかうこともないからでしょうか、すっかりアシが生い茂ってヤナギやハンノキなどの木々も育っています。ただしっかり水はあって、生き物たちの貴重な住み家になっているようです。

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2021年5月撮影

クヌギ並木と屋敷林のある景観

こちら側のエリアにもクヌギの並木が残っています。土手にクヌギが植えられ、その横には田堀りの水路があります。用水はさすがにコンクリート水路が多いですが、排水(悪水)の方は素掘りの水路が多く残っています。

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2021年5月撮影

ここも落ち着く田園風景の景観。

れんげ畑になっている田んぼもありました。マメ科根粒菌を持っているレンゲソウを一緒に耕して肥料に。有機栽培をしている田んぼでしょうか。これも少し昔の典型的な田園風景ですね。

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れんげ畑とクヌギ並木。田堀りのアシ原も見える。

 並木沿いにお地蔵様や庚申塔が並んでいました。「天明」の元号が読めたので、クヌギの堤を作ったのと同時期のもののようです。

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2021年5月撮影

 立派な屋敷林のあるお宅がありました。冬の季節風が吹く北西側の樹木が厚くなっていますね。

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2021年5月撮影

 こちらのお宅は大きな2階建てでかつては養蚕をやっていたのでは思われる造りでした。

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2021年5月撮影

先ほどのお宅を後ろ側から。カシ類などの常緑樹ですっぽり隠れています。まるで小島か古墳のように見えます。

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2021年5月撮影

クヌギ並木と屋敷林。なかなか絵になる風景です。

構え堀と水塚

続いてエリアの西側。この地域でも一際大きな民家があります。屋敷林が鬱蒼とした森のようです。

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2021年5月撮影

 こちらのお宅で特徴的なのは、見事な構え堀。

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2021年5月撮影

屋敷地の北側と東側に残ります。この写真は東側か撮ったもの。構え堀の内側は竹林。外側はスギ林になっています。樹林帯の面積も広い。

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敷地東側 2021年5月撮影

こちらは東側。外側の水路は、外から流れる排水路。その内側に見事な掘。屋敷地は周囲と比べて高いところにあります。

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2021年5月撮影

屋敷北側の構え堀を西側から。木立の中で美しい光景です。

構え堀は関東の低地の集落にしばしばみられるようです。作られる理由は屋敷地の盛り土を採取するため、また水害時の水除け機能があるとされているようです。洪水時の水流の低下を検証した論文もありました。

※参考文献

洪水氾濫常襲地帯に発達した水塚に併設された『構え堀』の水除け機能についての水理実験

この辺りは非常に立派な屋敷林がある家が多いですが、冬の季節風から守る防風の意味のほかに、水害時の水流から屋敷地を守る役目もありそうですね。

この屋敷にも水害時に備えて物資を保管し、避難するための「水塚」がありました。

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屋敷地よりさらに土盛りしている

写真ではわかりづらいですが、屋敷地よりさらに2mほど盛り土したところに蔵が建っています。構え堀があることによって、水塚が洪水時の水流から守られる。低地の昔からの暮らしを実感できる場所です。

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こちらも構え堀が残る屋敷

他にも何軒か構え堀が残っているお宅がありました。構え堀と水塚、屋敷林。水害から暮らしを守る工夫です。

集落の立地

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2021年5月撮影

なお、この辺りの集落、1軒1軒が独立していて、いわゆる「散居村」(「散村」とも)の形態に見えます。

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長いアプローチの先に屋敷林を伴う家が建つ

ですが、調べてみると、多くの家はかつての河道の自然堤防上に立地していることがわかります。

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地理院地図の地形分類図。黄色部分が自然堤防。

ほぼ平らに見えるこの地域で、少しでも高いところに、水害から守る様々な工夫をして家を建てているのですね。

印象的だった田んぼの中の祠。水神あるいは水に関係する神様なのではと想像しました。

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2021年5月撮影

浮野の湿地植物と埋没した台地

遊歩道エリアの南東側には県の天然記念物に指定された湿地帯のエリアがあります。

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2021年5月撮影

保護のため奥までは入れませんが、貴重なトキソウなど、貴重な湿地性の植物が生息しているとのこと。

こちらの解説板に興味深いことが書かれていました。

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解説板

縄文時代には枝状にたくさんの谷が入り組んでいる起伏に富んだ水辺の地域でした。古墳時代になって地盤の沈降により利根川の流路が乱流し土砂の運搬が行われた結果、現在のような平らな地形(加須低地)になりました」(解説板より)

かつては、現在の館林台地と大宮台地は連続した台地でした。しかし加須市付近を中心とする沈降(関東造盆地運動と呼ばれます)によって、このあたりは台地が沈降して河川の堆積物に埋まってしまいます。ただ、当時谷だったところは地下水の通り道となって、現在は湿地になって水が湧きだしているようです。

ここで「大宮台地の湧水」とつながりましたね!(笑)

湧水によって冷たい水が供給されるため、低地では珍しい湿地性の植物が生育しているとの事。

湿地内には、洪水のときでもきれいな水が湧きだして、近隣から水を汲みに行ったといわれています通称「古井戸」と呼ばれている場所があるそうなのですが、どこかはわからず。

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湿地帯越しに屋敷地を見る

「武蔵野」というと、武蔵野台地の雑木林を思い受かべがちですが、こういった低地の景観もかつても武蔵国東部の典型的な景観。埼玉を象徴する風景と言えそうです。

季節ごとに散策したい場所がまた増えました。