大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録

地元大宮台地の湧水を中心に、地理、地形好きのお出かけの記録です。

蓮田市 黒浜沼とその水源をたどって(2)西側の谷と新井堀の内遺跡

前回の黒浜沼周辺の散策に続いて、水源を探しながら谷をさかのぼってみます。

※前回

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黒浜沼の上流にも谷が続き、枝分かれしています。黒浜沼の水源はそこを流れる水路。

それらの谷をさかのぼって水源を探してみました。「谷」と言っても標高の低い大宮台地。周囲との高低差は3~8mくらいの浅い谷です。

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 A 下沼上流の谷

まずは下沼に流れ込むこの水路。素掘りの水路(ひょっとして埋もれてしまっただけかも)で自然度が高い水路です。

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2021年5月撮影

この水路沿いを歩くことはできません。次に道路に接するのは黒浜南小学校の東側。

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2021年5月撮影

 この辺りも素掘りの水路になっています。生き物もいそうですが、囲いがあって近づけません。

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2021年5月撮影

畑の一画に水が沁みだしている場所がありました。掘りこんで湧き出した地下水を畑の水やりなどに使っているようです。周囲にはセリやハナショウブなどが生えます。

この水路は黒浜南小の敷地内から流れ出しています。校庭に浸透した水のほかにこのような湧水が水源になっていそうです。

 

B 上沼西側の谷

続いて上沼の北側から西に入る谷。いきなり住宅地の暗渠になり、県道を越えて再び地表に現れますが、周辺は埋め立てられた荒れ地。近づくことが出来ません。

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2021年5月撮影

 再び流れに近づけるところまで行って見ました。

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2021年5月撮影

水路が二手に分かれて合流していますが、水はありません。先ほどのところには流れがあったので、その間のどこかで水が湧いているのかもしれません。

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2021年5月撮影

上流側も水がありませんが、素掘りになり、キショウブが咲いていました。普段は水がありそうな気配です。

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2021年5月撮影

さらに谷をさかのぼると水田がありました。この辺りの谷は埋め立てられておらず、元の地面の高さになっています。

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2021年5月撮影

水田の水は井戸からくみ上げられていました。水田の余水の排水路もあります。農繁期はこれも水路の水源になっていそうです。上の写真の向こうに見える森は「ふるさと緑の景観地」に指定された斜面林。その向こうの台地上にある「新井堀の内遺跡」にも行って見ました。

C 新井掘の内遺跡

「新井堀の内遺跡」は、戦国時代当時の岩付(岩槻)城主太田資正の家臣だった野口多門の居館跡と言われています。かつては周囲に堀がめぐらされており、「堀の内」の地名が残っているとの事。

ここでは道路建設に伴う発掘調査で、2017年に大甕に入った約26万枚にも及ぶ古銭が発見されニュースにもなりました。

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埋蔵銭の模型 蓮田市文化財展示館にて

この量は国内でも最多クラス。発掘調査では他に2カ所、同じように甕が埋められていた跡と思われる場所が見つかっています。この甕だけ見つけられずに残されたようです。太田資正の軍資金だったのか?想像がふくらみます。

発掘調査では二重の堀が見つかりましたが、現在では埋め戻されています。

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新井堀の内遺跡周辺 2021年5月撮影

見たところ台地上には堀の痕跡もなく、当時の面影はあまりなさそうでしたが、先ほどの谷に下りていく道が、ひょっとすると堀の跡では?と思う趣がありました。

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2021年5月撮影

「ふるさと緑の景観地」に指定された雑木林の中の道。その北側には先ほどの谷と水路があり、ひょっとするとそれも堀の跡かもしれません。

 

次回は北側の谷をさかのぼって水源を探します。

続きはこちら。

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