蓮田市 黒浜沼とその水源をたどって(1)黒浜沼とその周辺
蓮田市の黒浜沼。大宮台地の白岡支台に入り込んだ谷にある沼です。黒浜沼のある大地の東側から南側、蓮田市とさいたま市岩槻区の境には水田地帯が広がりますが、中世くらいまではそこに利根川の分流「日川」が流れていたと考えられています。黒浜沼はその日川や元荒川の自然堤防が谷からの水を堰き止めて出来た沼です。
今回は黒浜沼と、その水源となっている谷の水路と湧水を2回に分けて紹介します。
黒浜沼は上沼と下沼に分かれています。案内板によると、江戸時代初期の寛永年間に堤を築いて上沼と下沼に分けられたとの事。沼の水は溜井として、元荒川左岸の水田を潤していました。
黒浜沼(上沼)の自然(地図A)
上沼とその周囲は緑のトラスト保全第11号地として公有地化されて保全されています。
黒浜沼上沼の水面を南側から。かつては大宮台地の谷にはこのような沼が数多くありましたが、水田化されたり、近年では埋め立てられたりして少なくなりました。現在では大宮台地の谷に残る沼ではここが最大なのではないかと思います。
沼に残る桟橋。ヘラブナ釣りが有名らしく休日は釣り人が目立ちます。
沼の周囲はアシ原が広がります。数年前までは水面にはハスが生えていましたが、突然ほとんど見られなくなってしまったとのこと。当時の記事を見ると、アメリカザリガニやミシシッピアカミミガメの影響が疑われましたが、原因はわかっていないようです。
沼の周囲には今ではあまり見られなくなった貴重な湿地の自然が残ります。準絶滅危惧種に指定されたジョウロウスゲが遊歩道沿いに観察できました。
ホタルの里(地図B)
沼の北側の一画に「ホタルの里」として整備されたエリアがあります。地元のNPO法人が1987年から活動して整備しているとの事で、かなり長い間取り組みをされています。
案内板によると元々この辺りに湧水があったそうなのですが、水量が減り、今は井戸からくみ上げた水を供給しているとのこと。
木道も整備されてホタルをはじめとしていろんな生き物が観察できそうです。ヘイケボタルは例年7月頃が見ごろ。
訪ねた日も、散策をする親子連れを何組も見ました。ザリガニ釣りは駆除のために奨励しているようですね。
スイレンの花が咲いていました。蓮田市の花。「蓮田」なのに、なぜ園芸スイレンなのか、ちょっと引っかかります。本当は在来種を植えて欲しい気もしますが、訪ねてくる人が期待することを考えるといろいろ難しいのでしょうか。
なお、トンボの里の湧水は少なくなってしまったとの事ですが、周囲には農閑期でも水が流れる場所があったり、湧水は何か所か残っていそうです。
下沼(地図C)と田んぼの風景
一部散策路が整備され、水面に近づける上沼に対して、下沼はアクセスする道がありません。
水田の向こうに見えるアシ原が下沼。木々も生えて、水面はあまり大きくなさそうです。
こちらは西側から。奥の森は台地の斜面林。ちょうど田んぼの水が入ったばかりで美しい写真が撮れました。
西側の道に回ってみると、台地の際のあたり、残土が埋められているのが見えました。下沼は公有地化はされていないようなので、今後どのようになるか気がかりです……
台地の上は立派な屋敷林のある大宮台地らしい集落の景観が広がります。屋敷林はそのまま低地への斜面林になっています。
黒浜沼から流れ出る水路
黒浜沼からの水は「新掘排水路」となって流れ出ています。左側が下沼。右奥が上沼。黒浜地区の台地の水を集めてそこそこの水量になって流れます。
向こうには岩槻工業団地の建物が見えますが、この後大きくカーブして北上しています。
かつては黒浜沼の水は用水となり、その後は元荒川左岸を南下する「山城堀」となっていました。
※こちらのツイートで教えていただきました。https://twitter.com/Wpl0JWzdw688IBR/status/1278337950065909760?s=20
山城堀は今では「東岩槻1号雨水幹線」となっています。工業団地の中を南下し、その後暗渠となり、東岩槻方面に続いています。
現在、新堀排水路は北上した後に慈恩寺支台の台地をくぐり、隼人堀川に注いでいます。付近の田んぼの用水は元荒川からポンプでくみ上げられているようです。
次回は黒浜沼の水源を探して谷をさかのぼって散策します。
加須市 浮野の里(2) 掘り上げ田周辺の暮らしと自然
前回に引き続き、浮野の里の遊歩道のエリアから出て、水田地帯を歩きます。
※その(1)はこちら
案内図には「ふるさとの路」としてルートが書かれていますが、現地には案内はほとんどありません。地図を片手にぶらぶらしてみました。
田堀りの湿地
訪ねたときはちょうど田植えシーズン。用水路に豊かな水が流れます。
こちらのエリアにも掘り上げ田の名残り、「田堀」のクリークが残っています。写真のアシが生い茂る湿地が田堀の跡。
もう田舟が行きかうこともないからでしょうか、すっかりアシが生い茂ってヤナギやハンノキなどの木々も育っています。ただしっかり水はあって、生き物たちの貴重な住み家になっているようです。
クヌギ並木と屋敷林のある景観
こちら側のエリアにもクヌギの並木が残っています。土手にクヌギが植えられ、その横には田堀りの水路があります。用水はさすがにコンクリート水路が多いですが、排水(悪水)の方は素掘りの水路が多く残っています。
ここも落ち着く田園風景の景観。
れんげ畑になっている田んぼもありました。マメ科で根粒菌を持っているレンゲソウを一緒に耕して肥料に。有機栽培をしている田んぼでしょうか。これも少し昔の典型的な田園風景ですね。
並木沿いにお地蔵様や庚申塔が並んでいました。「天明」の元号が読めたので、クヌギの堤を作ったのと同時期のもののようです。
立派な屋敷林のあるお宅がありました。冬の季節風が吹く北西側の樹木が厚くなっていますね。
こちらのお宅は大きな2階建てでかつては養蚕をやっていたのでは思われる造りでした。
先ほどのお宅を後ろ側から。カシ類などの常緑樹ですっぽり隠れています。まるで小島か古墳のように見えます。
クヌギ並木と屋敷林。なかなか絵になる風景です。
構え堀と水塚
続いてエリアの西側。この地域でも一際大きな民家があります。屋敷林が鬱蒼とした森のようです。
こちらのお宅で特徴的なのは、見事な構え堀。
屋敷地の北側と東側に残ります。この写真は東側か撮ったもの。構え堀の内側は竹林。外側はスギ林になっています。樹林帯の面積も広い。
こちらは東側。外側の水路は、外から流れる排水路。その内側に見事な掘。屋敷地は周囲と比べて高いところにあります。
屋敷北側の構え堀を西側から。木立の中で美しい光景です。
構え堀は関東の低地の集落にしばしばみられるようです。作られる理由は屋敷地の盛り土を採取するため、また水害時の水除け機能があるとされているようです。洪水時の水流の低下を検証した論文もありました。
※参考文献
洪水氾濫常襲地帯に発達した水塚に併設された『構え堀』の水除け機能についての水理実験
この辺りは非常に立派な屋敷林がある家が多いですが、冬の季節風から守る防風の意味のほかに、水害時の水流から屋敷地を守る役目もありそうですね。
この屋敷にも水害時に備えて物資を保管し、避難するための「水塚」がありました。
写真ではわかりづらいですが、屋敷地よりさらに2mほど盛り土したところに蔵が建っています。構え堀があることによって、水塚が洪水時の水流から守られる。低地の昔からの暮らしを実感できる場所です。
他にも何軒か構え堀が残っているお宅がありました。構え堀と水塚、屋敷林。水害から暮らしを守る工夫です。
集落の立地
なお、この辺りの集落、1軒1軒が独立していて、いわゆる「散居村」(「散村」とも)の形態に見えます。
ですが、調べてみると、多くの家はかつての河道の自然堤防上に立地していることがわかります。
ほぼ平らに見えるこの地域で、少しでも高いところに、水害から守る様々な工夫をして家を建てているのですね。
印象的だった田んぼの中の祠。水神あるいは水に関係する神様なのではと想像しました。
浮野の湿地植物と埋没した台地
遊歩道エリアの南東側には県の天然記念物に指定された湿地帯のエリアがあります。
保護のため奥までは入れませんが、貴重なトキソウなど、貴重な湿地性の植物が生息しているとのこと。
こちらの解説板に興味深いことが書かれていました。
「縄文時代には枝状にたくさんの谷が入り組んでいる起伏に富んだ水辺の地域でした。古墳時代になって地盤の沈降により利根川の流路が乱流し土砂の運搬が行われた結果、現在のような平らな地形(加須低地)になりました」(解説板より)
かつては、現在の館林台地と大宮台地は連続した台地でした。しかし加須市付近を中心とする沈降(関東造盆地運動と呼ばれます)によって、このあたりは台地が沈降して河川の堆積物に埋まってしまいます。ただ、当時谷だったところは地下水の通り道となって、現在は湿地になって水が湧きだしているようです。
ここで「大宮台地の湧水」とつながりましたね!(笑)
湧水によって冷たい水が供給されるため、低地では珍しい湿地性の植物が生育しているとの事。
湿地内には、洪水のときでもきれいな水が湧きだして、近隣から水を汲みに行ったといわれています通称「古井戸」と呼ばれている場所があるそうなのですが、どこかはわからず。
「武蔵野」というと、武蔵野台地の雑木林を思い受かべがちですが、こういった低地の景観もかつても武蔵国東部の典型的な景観。埼玉を象徴する風景と言えそうです。
季節ごとに散策したい場所がまた増えました。
加須市 浮野の里(1) 堀り上げ田の湿地とクヌギ並木
今回は大宮台地を少し離れて、加須市の「浮野の里」と呼ばれる場所のご紹介です。ただ調べてみると大宮台地にも湧水にも関わりの深い場所でした。(詳しくはその(2)にて)
埼玉県東部に広がっていた「掘り上げ田」
埼玉県の東部の湿地帯では、かつて「堀り上げ田」という水田が作られていました。湿地帯を櫛状に掘りこんで、掘った土砂でかさ上げした水田です。掘った部分は水路となり、ここに田舟と呼ばれる舟を乗り入れて水田への出入りや収穫した稲の運搬などを行っていました。昔の航空写真を見ると各所に掘り上げ田の櫛状の水路を見つけることが出来ます。
江戸時代の新田開発で各地の沼を整備して盛んに作られた掘り上げ田。ただ戦後になるとそういった掘り上げ田は排水が良くないため生産性が悪く、機械化も難しいため、排水設備を整えて整備されたり、高度経済成長期には埋め立てられて工業団地になったり、ほとんど見ることが出来なくなってしまいました。
今回はかつて埼玉県東部の各所に見られた掘り上げ田の景観が残る、加須市の「浮野の里」のご紹介です。
「浮野の里」について
「浮野の里」は加須市の東北自動車道の北東側、北篠崎及び多門寺の両地区にまたがる地域。面積は125ヘクタールにも及びます。「浮野」は洪水の時に周囲が水をかぶっても浮野の一部は浮上したからそう呼ばれたとのこと
※参照 浮野の里HP
https://www.ukiyanosato.jp/%E6%B5%AE%E9%87%8E%E3%81%AE%E9%87%8C/
泥炭層にアシの根が絡まった部分が増水時に浮かびあがるのでしょうか。1947年のカスリーン台風の際には実際に浮き上がった姿が目撃されているとのことです。
湿地や水田の中に民家が点在するこのエリア。一部は「緑のトラスト保全第十号地」として公有地化され、保全されています。
クヌギの並木道
ここで印象的なのは堤の上に植えられたクヌギの並木道。
両側は掘り上げ田の排水のために作られた水路。ここでは「田掘り」と呼ばれています。このクヌギ並木は天明年間の浅間山噴火(1783年)後に、火山灰により川の底が浅くなり、洪水が頻発したため堤防を築いたものとのこと。クヌギなどの樹木は堤防の強化と薪炭等での利用のために植えられました。今ではとても気持ちの良い遊歩道になっています。
ここは並木道の入り口左側の池。息をのむ美しさでした。
並木道の東側の「田掘り」。水鏡に映ったクヌギ並木が美しい!
湿地の木道
クヌギ並木の東側には木道が整備されています。4月にはノウルシが一面に黄色い花を咲かせるとのこと。来年は見てみたいなあ。
一画には花菖蒲園もあるようです。園芸品種なので本来の浮野の景観とは異なりますが、地域振興という観点から大事なのかもしれません。例年は6月に「あやめ祭り」が開かれ、田舟の運行も行われるとの事。(2020年・2021年は新型コロナウイルスの影響で中止)
自然と生きもの
クヌギ並木と木道はとても気持ちのいい散策路で、いろいろな生きものも観察できます。
アシ原ではオオヨシキリがにぎやかに鳴いていました。
湿地と水田地帯なので、初夏はカエルだらけになります。アマガエルはもちろんたくさんいますが、この辺りにもヌマガエルが進出しているようです。
雨の季節はクヌギ並木がキノコの森になっていました。
散策路にはいくつもベンチがあって、自然を感じながらのんびりすることが出来ます。
並木道のベンチで一休みするのは至福の時でした。
クヌギ並木の遊歩道の北の端には鉄骨でできた展望台があり、登ってみました。
北側には雄大な水田地帯。遠くに赤城山などの北関東の山々も望めます。この先も「浮野の里」のエリア。掘り上げ田の跡も残っているということで、行って見ることにしました。
その(2)に続きます。
川口市 安行原自然の森と密蔵院、九重神社 湧水と季節の自然
川口市東部の安行地区。植木の栽培が盛んなこの地域は緑地や湧水がまだ多く残っています。今回はその中で今回は川口市「安行原自然の森」とその近くの寺社のご紹介です。
鳩ヶ谷支台の東側は直線的な崖線になっていますが、川口市安行原付近に小さな谷が入り込んでいます。
谷の奥の斜面には密蔵院。そこから谷を少し下った斜面林とその斜面下の湿地・湧水のあるエリアに「安行原自然の森」があります。
低地の湧水
こちらは低地側。湧水の流れとショウブ田。
オニヤンマを追いかけていた少年。オニヤンマは速く飛ぶので難易度が高いですね。ここでは虫捕りをする親子もよく見かけます。都市近郊では貴重な自然。
こちらは春の風景。満開の桜と芽吹き始めた木々が瑞々しいです。
水辺のハンノキも芽吹き始めています。
こちらはハンノキの実。実は鳥たちの食用となり、葉は埼玉県の蝶であるミドリシジミなどの食用になります。(ただここにはミドリシジミは生息していないようです。)
湧水の流れ。後ろの斜面の上は大宮台地の鳩ヶ谷支台。ここでの高低差は10mくらいあります。
斜面林と雑木林の自然
斜面林も手入れのされた気持ちの良い雑木林。春には林床にヤマブキの花が咲いていました。
スミレも沢山咲いていました。タチツボスミレがほとんどですが、白い花も。こちらはタチツボスミレの白変種のオトメスミレのようです。
雨の季節にはキノコがたくさん観察できました。
こちらは食用にもなるキタマゴタケ。ただ素人判断では食べない方が無難ですね。
こちらはテングタケ。幼菌はかわいらしいですが、毒キノコで食べられません。
こちらもテングタケの仲間のようです。テングタケの仲間で白いキノコは猛毒のものがほとんど。要注意です!
なんだかキノコ写真ばかりになってしまいましたが、ここは野鳥も多いですし(腕が悪く写真に収められていませんが…)、タヌキも住んでいるとか。身近に自然に触れ合える場所です。
密蔵院
せっかくなので、近くの寺院、神社もご案内。
安行原自然の森のある谷の奥には密蔵院があります。春は早咲きの「安行桜」で有名(その時期に来たことはまだありませんが)。15世紀に中興されたという古刹。
九重神社
密蔵院の東側には九重神社が鎮座しています。密蔵院の住職が大宮氷川神社を勧請して祀ったと伝えられており、明治の神仏分離までは一体のものだったのではと思います。明治期に周辺の神社と合わせて9社を合祀したので「九重神社」という名に変わったとのこと。
社殿の横には、ご神木のスダジイの大木が生えます。
樹齢は500年以上と推定されるとの事で、見事な巨木。ご神木とされるだけの貫禄がありますね。
社殿の裏手の御嶽山。密蔵院は墓地に囲まれて大きい木は少ないのですが、九重神社の境内は緑が多く残されています。この御嶽山、安行地区では最も標高が高いと書かれていました。元々の高まりをさらに築山したものでしょうか。山頂には「御嶽山」「八海山」「三笠山」と刻まれた石碑がありました。いろいろ混在している?このあたりはまだ要勉強です。
安行原自然の森と密蔵院、九重神社はそれぞれ歩いて5分程度。合わせて散策するのにちょうど良いエリアです。
北本市 横田薬師堂下湧水群と旧河道の湧水
今回は大宮台地北部、北本市の「横田薬師堂下湧水群」をご紹介します。大宮台地周辺では珍しい名前が付いている湧水。湧出量もトップクラスと思われます。
北本市西部は大宮台地でも最も標高が高いエリアです。荒川寄りで標高30m超、荒川低地は13mくらいなので、その差は15m以上。高低差が大きく感じられます。
ちなみに台地は東側に行くほど低くなり、東端は低地との境目がわからないような感じです。これは「関東造盆地運動」と呼ばれる土地の沈降の影響で、沈んだ台地の上に利根川などからの土砂がたい積しています。
横田薬師堂下湧水群(A)
北本自然観察公園のある谷と荒川の間にある城ヶ谷堤から下りて荒川方面に下りていくと、下がったところに池が見えます。こちらは戦後、荒川が直線化するまでは荒川の本流だった川の跡です。現在は釣り堀のようになっています。検索してみるとヘラブナ釣りで有名なようです。
横田薬師堂下湧水は駐車場の北側の階段を下りていきます。
湧水があるのは元は荒川が蛇行していた河原にあたります。
1960年代の航空写真に湧水の場所をプロットしてみました。
初めて訪ねた2020年1月は、前年の台風19号の爪痕が残り、少し荒れた状態でした。かなり上の方まで水が来ていたようです。
斜面の竹林はかなり上の方まで泥で汚れていて、河畔林の木の枝にはゴミが引っかかっていました。
なお、この場所、結構頻繁に水没するようで、2020年10月の雨の後立ち寄った際も水に浸かっていました。水は濁っていますが、ちょっと神秘的な光景。
元は川の場所なので、頻繁に水に浸かるのが自然なんでしょうね。それに適合した動植物が分布しているのではないかと気になります。
湧水は「湧水群」というだけあって、何か所から湧き出していますが、一番湧出量が多いところは木道で近くにアクセスできます。
大きな石の下から湧き出しています。大宮台地は掘り進めてもほとんど石が無い地質なのでちょっとめずらしい。荒川が運んだ礫なのでしょうか。
大宮台地の崖線の湧水としてはかなり水量が多いです。 (大宮台地の湧水は、台地上の涵養だけなので、どうしても水量は少なめです)
解説には「北本市内で最も水量が多い」と書かれていますが、大宮台地の湧水でトップクラスのはずです。台地上とかなり高低差があるので、他の湧水とは帯水層が異なる(より深い)のではないかなあと想像しています。そのあたりは今後の宿題です。
旧河道の湧水(B)と荒川ビオトープ
再び階段を上り、今度は旧河道を下流に向かって歩いてみます。
旧河道の周辺は「荒川ビオトープ」として、ワンドを作ったり、河畔林を育成したりして自然環境を整備しているようです。
旧河道へ下る斜面にも湧水の流れを見つけました。
洪水につかったりしながら、河畔林の環境がだんだんできてくるのではと思います。度々訪れてチェックしたい場所です。
城ヶ谷堤に西側の谷は北本自然観察公園として整備され、湿地環境や湧水が残されています。またその南側は戦国期の城跡、石戸城跡となっていて、見どころの多いエリアです。
それらについてはまたブログで取り上げたいと思います。
さいたま市見沼区 笹丸地区を囲む谷の湧水と畑の水場
今回は、旧大宮市域、見沼区の大字笹丸の三方を取り囲むように入り込む谷の湧水をご紹介します。住所的には東側は染谷、西側は東新井との境にあたります。
元々は見沼だった芝川沿いの低地(見沼田んぼ)と加田屋川の低地に挟まれた台地は「片柳支台」と呼ばれます。その中でも東側から入り込む比較的大きな谷。谷の出口はさいたま市営霊園となって造成されています。墓地ですが公園のような雰囲気。売店では産直野菜まで売っています。
こちらを起点に笹丸地区を囲む谷の湧水をめぐります。
染谷氷川神社と笹丸荒神社(A)
さいたま市営霊園の前の道を染谷方面に行くと間もなく染谷氷川神社があります。嘉吉2年(1441)に創建したと伝えられていて、江戸期には染谷村の鎮守だった神社。北側はすぐに市営霊園の低地で台地の先端に鎮座します。
谷を挟んで大字笹丸の北の端には笹丸荒神社。荒神社は埼玉では珍しい気がします。笹丸村が成立した江戸前期に鎮守として祀られたとのことなので、何か理由があるのかもしれません。
荒神社も台地の先端。北側の谷の方を見ると、ヤナギ類が生えて湿地っぽい植生となっています。休耕田だと思いますが、あまり藪にはなっておらず、手入れがされているのかもしれません。
東側の谷の湧水①(B)
笹丸の集落から東側の谷に下りていくと、湧水の流れがあります。
周辺は盛り土されていますが、元の高さの水路から水が湧きだして流れています。ただ、畑の除草剤か何かの影響があるのか、流れの中に草は生えていません。生き物が見られないのはちょっと残念。
東側の谷の湧水②(C)
染谷側の台地上を歩いて、次に谷を横切る道に向かいます。
この辺りも緩い斜面下に湧水がありました。境界杭のあたりから湧き出しています。
この辺りはかなり緩やかな谷で、大宮台地らしい湧水です。古い地形図を見ると水田になっているので、この湧水と天水(雨水)を利用して稲作が行われていたのだと思います。
水路はもう少し先の谷頭から続いていますが、近寄れないため断念。
畑の水場(D)
次に大字笹丸の西側の谷に向かいます。谷頭の方は水路に近づけず湧水は未確認。
谷の西側に小道があるのでそちらを歩きます。これでも市道であることは確認済み。のどかな畑の中の道です。
しばらく行くと、家庭菜園として貸し出されていると思われるエリアがありました。その一角に水のたまった穴とそこからつながる水路が。
畑の水場として利用しているのではないかと思います。
大宮台地の谷地では、穴を掘ってしみ出してきた地下水を摘田(直播きの水田)や畑に利用してきたとの記録があります。そういったものの名残りともいえそうです。
(参考 上尾の摘田 耕作の再現映像もあります)
この畑を過ぎて、市営霊園に戻る道の途中に「小松台牧場」の看板があります。畜舎は道路から入ったところにあってよく見えませんが、さいたま市内では数少ない現役の牧場のようです。
高度経済成長期までは、比較的都心に近いところでも牧畜が行われていました(都内では中野区や世田谷区など)。現在ではさいたま市では私が確認する限りここと西区の秋葉神社近く(こちらのブログ記事参照:さいたま市西区 指扇辻川の湿原と秋葉神社 - 大宮台地の湧水 ほか街歩き、お出かけの記録 (hatenablog.jp))だけになってしまったと思います。
見沼区内も都市化が進み、多くの谷が埋め立てられて宅地化されました。市街化調整区域として残るこの谷は緑が多く、かつての景観をとどめています。
川口市 木曽呂・東内野の湧水
今回は川口市北西部、木曽呂、東内野地区の谷から湧く湧水をご紹介します。
川口市木曽呂から東内野に南から北方向に流れる水路があります。この辺り、通常川は北から南に流れているので、逆向きに入り込んだ谷です。
今回はこちらの谷をさかのぼってみました。
谷の中央を流れる水路。川口市の地形図を見ると「東中野排水」と書かれています。下水も入っているようで、ちょっと匂いのあるいわゆるドブ川……
調節池と木漏れ日の道(A)
谷の西側の斜面沿いにも水路があるので立ち寄ってみました。
こちらは「木洩れ日の道」と名付けられ、台地斜面の竹林沿いに人工の水路が流れています。元々水路があったものなのかもしれませんが、現在は整備された人工的な流れ。大きなコイが泳いでいるのもいかにもな感じです。水路沿いにはアジサイが植えられ、花の季節はきれいそうです。
流れの始まりではパイプから水が出ていました。くみ上げた井戸水か、循環かはわかりません。
木漏れ日の道沿いに調節池がありました。底の溝から水が流れ出ています。
掘り下げたところから水が湧きだしています。「木洩れ日の道」もかつては斜面沿いの湧水の流れだったかもしれません。
再びメインの水路に戻り、上流へ向かいます。
バケツの湧水(B)
四車線の都市計画道路を超えてしばらく行くと周りに畑が現れます。最初に訪れた2019年12月、青いバケツが置かれているのが目に入りました。
近づいてみると、バケツにチョロチョロと水が流れ込んでいます。
バケツには澄んだ水がたまっています。湧き水を受け止めているようです。こういう光景、時々見かけます。人はなぜ水が出ているところに容器を置こうとするのか?
付近には他にも水が出ているところがあり、この辺りは水が湧きやすい場所のようです。
ただ、こちらは2020年の冬に訪問した際にはバケツも撤去され水も湧いていませんでした。雨の多い時期だけ湧き出す場所のようです。
しばらく行くと水路は蓋をされた暗渠になります。この水路は周辺はかなり宅地化されていますが、暗渠なのはこの付近だけです。川口市は都心に近い割に、比較的水路が暗渠にされずに残っている印象があります。
この先谷は3つに分かれます。それぞれの谷の水源を探してみました。
西側の谷の湧水(C)
まずは西側に向かう谷。木曽呂小学校の北側を流れます。畑の中には湧水の流れを見つけました。
水路は谷の中央を流れます。台地上は住宅が多いですが、谷の中は畑が広がりのどかな風景。他にも水が湧いているかもしれないですが、近づけませんでした。
南側の谷の湧水(D)
次に南向きの谷。こちらは木曽呂小学校の東側になります。谷の両側とも住宅が建ち、斜面も擁壁にして造成されています。
この東側の擁壁の下に水が湧きだしているのを見つけました。
この谷、さらに南に水路も続いています。こちらの水路、雨の多かった2019年冬には澄んだ水が流れていました。(2021年2月時点では水無し)
谷頭なので、雨の多い時には湧く場所があるのかもしれません。
東側の谷の湧水(E)
次に東側の谷に向かいます。
こちらの谷は谷頭の斜面も家がびっしり。
造成で湧水も埋められてしまったかと思いきや、擁壁の下から水が湧きだしているところを見つけました。澄んだ水が結構しっかりと湧いています。
この辺りでは一番の湧出量なのではと思います。この擁壁の上の家が大丈夫か心配になります……
ただこの湧水は住宅の下の暗渠から流れてくる濁った水と合流します。この辺り下水道が未整備のようで、この水路の下水臭はこれが原因のようです。
谷の下の方でも何か所も湧水の流れがありました。
ただ、この辺りもさらに宅地が増えてきそうです。2021年に訪問した際は唯一残っていた斜面林が切られ、ここも造成されそうな雰囲気。いつまでこの光景が見られるのか。
大きな谷を作っているだけに、湧水が豊富だった谷のようなのですが。、台地上も家が増えていて、これからどうなっていくのか。定期的に見ていきたいと思います。